きれいな字を書きたい


悪筆である。


書いた物をちらっとみて、達筆ですね、などといわれることもないでは
ない。だが、それはとんでもない誤解だ。それっぽい崩し方をしている
だけで、よく見るとバランスがまったくなってない。


字が下手なことは、中学に入ったときからコンプレックスとなった。ク
ラブの一年先輩に、ものすごく大人びたきれいな字を書く人がいたから
だ。その人のノートを見せてもらって、自分のノートをひきちぎりたく
なったぐらい。その頃書いていた文字は、カナクギ流でも丸文字でもな
く、もちろん味のある字体でもない。自分の神経質さがむきだしになっ
たような、ひたすらトゲのある文字。大っ嫌いだった。


書道も苦手だった。


だから、中学、高校と通じて、いつもきれいな字を書きたいと思い続け
ていた。


で、どうしたか。やはり練習するしかないだろうと、せっせと字を書き
続けた。


ただし授業ノートは、きれいに書いているゆとりがない。板書を書き写
すのが精一杯か、内容がさっぱりわからないからはなからノートを取る
ことをあきらめた教科もたくさんあったぐらいだ。


だから一生懸命、日記を書いた。いっぱしの文学青年を気取っていたか
ら、日記というか(自分の心理描写文とでもいえばいいのだろうか)み
たいなものを、書き連ねるのは、苦じゃなかった。毎日、2〜3ページ
ほど律儀に書き続けた。


結果、ほんの少しうまくなった。


とはいえ上下左右のバランスはどうか。運筆はどうあるべきか。等々、
基本的な原理を押さえていないのだから、やはりどこかバランスが悪い。
幸い大学に入った時はまわりの奴らがさらに悪筆揃いだったから、相対
的に字のうまい人に分類されることになった。


次の転機は、コピーライター修業に入った時にやってきた。


なんせ、コピーライターなんである。キャッチコピー一本書いて、稼ぐ
仕事なんである。ちょうど糸井重里西武百貨店の仕事で、キャッチコ
ピー1本1000万円取るとかいわれていた時代のことだ。コピーライ
ターたるもの、大金をいただけるにふさわしい文字を書くべしと勝手な
思い込みをしてしまった。アホですねぇ。


で、何をしたか。キャッチコピーの中身より、いかにキャッチコピーら
しく見える書き方をするかに気を配るようになった。B4の原稿用紙の
真ん中にキャッチ1本をど〜んと書くとか。筆記用具は、キャッチなら
ダーマトかぶっといサインペンがいいとか、ボディなら0.9ミリの
シャーペンじゃなきゃとか。妙なところにこだわる。ボディはせいぜい
200文字ぐらいを、マス目をはみ出すぐらいの大きさの文字で(その
代わり2行ぐらいずつあけて)、きっちりと読みやすく書くetc。


読みやすさでいえば、この頃の字がいちばんましだと思う。


そしてパソコンの時代に突入する。あらゆる原稿をエディターで書くよ
うになった。手書きするのは、相変わらず書き続けていた日記と仕事の
打合せメモぐらい。この状態が10年ぐらい続いて、どうなったか。


決定的に字が下手になり、とても困っている。


寺子屋で子どもたちに国語も教えている。子どもたちのプリントには漢
字書き取りの問題もあって、間違ったところを直してあげるのだが、こ
のとき書く字が笑っちゃうぐらい下手な字なのだ。子ども相手に見せる
漢字だから、一切崩しなし。きちんとした楷書でハネやはらいをはっき
りと書いてあげなければならない。崩してごまかすことができないから、
とんでもなくバランスが悪い。


これじゃいけませんよね、と,字の練習を始めた。まずは平仮名、片仮
名から。ボールペン字の練習帳を買って来て、コピーして、なぞりまくっ
ている。おかげで一文字ごとに天地左右のバランスがあり、運筆の注意
点があることもわかった。その成果が少し出始めている。「か」「の」
「る」の3文字なんか、以前とは見違えるぐらいきれいになった。


こうなるとおもしろい。次は漢字である。といってももちろんすべての
漢字について練習する必要はないようだ。漢字の書き方には一定のパター
ンがあり、そのパターンに共通するセオリーをマスターすれば、一通り
はきれいに書けるようになるらしい。


今まさに四十五の手習い真っ最中である。




本日の稽古:

  砂袋:突き110本、蹴り100本
  水泳、水中前蹴りウォーキング

もっと「きれいな字!」が書ける本 (知的生きかた文庫)

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