話す力は読む力・聞く力が育む


先日の「ビミョー問題」をまだ、しつこく考えている。子どもたちは親
と話すのが面倒なんだろうか。学校の先生とはどうなんだろう。あるい
は友だちとは。


登下校の様子を見ていると、少なくとも友だちとは楽しそうに話してい
る。話の内容はたわいもないことが多いが、きちんとキャッチボールに
なっている。ただし、自分の意見を考えた上で話しているレベルじゃな
いようだ。ほとんど反射神経的なノリとでもいえばいいのだろうか。


それも大事だと思う。いつもいつも、自分の意見を考え、その理由も含
めてひとに話す必要はない。そうした話し方は、どちらかといえば日本
語に合っていないようにも思う。言外での察しを尊ぶ、あるいは言葉に
ならない思いを読み取る。そんな日本文化が決して劣っているわけでは
ない。それは文化なんだから。


だからといって、きちんと話せないより話せた方がいいに決まっている。
特にこれからの子どもは、日本の中だけで生きていくことを考えるより、
いつでも海外に出て行ける能力を持っているべきだ。その方が幸せに活
きるための選択肢が多くなる。今後の日本の状況を考えれば、間違いな
いと思う。


そのために必要となるのは、グローバルなコミュニケーション能力だ。
であれば海外の初等教育でどんな国語教育が行われているかを知ってお
いても損はない。


たとえばアメリカの小学生用の教科書に次のような例文がある。
 ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領だった
 ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領だった
これを受けて、二つの文章がどう違うのかをたずねる。
『レポートの組み立て方』木下是雄より


ここで学ぶのは、事実と意見の違いである。これが小学校の2年か3年
の話。同年代の日本の子どもは事実と意見がどう違うかわかっているだ
ろうか。文化の違いはともかく、事実と意見を混同しない思考訓練は必
要だろう。


あるいはドイツでは、文章を徹底的に分析的に読ませる。作者の主張を
抽出し、その主張の根拠を分解する。読んだ感想を書かせるだけといっ
た国語授業はない。


そうした訓練を受けると、たとえば演奏会に行った後の感想の述べ方が
変わってくる。日本ならたいていの場合「今日の演奏会、どうだった?」
「よかったわよねぇ」「そうそう、とってもよかったわ」となるのがド
イツでは「今日の演奏、よかったわね」とでも言おうものなら「どこが
よかったのか。どうよかったのか」と突っ込まれることになる。


こうした突っ込みが、物事を深く理解する方法の一つである。何も音楽
に限らず、絵画、文学から造形物、あるいは社会的な事象までに共通す
る理解方法だと思う。


理屈っぽい、かもしれない。しかし文化的背景が異なる人同士がコミュ
ニケーションを正確に取ろうとするなら、お互いが納得できるロジック
に基づくしかないだろう。で、あれば分析的に話すしかないと思う。


つまり、僕は〜のように思う。なぜなら、〜だからだと。こうした論拠
に基づいた意見を交わしながら、合意点を探っていくのが交渉術の基本
でもある。


では、こうした話し方をするためには、どうすればいいのか。まずは読
むことだ。読みながら、意見と事実を読み分ける。次にその文章を書い
た人の主張は何か。その主張の根拠は何かを読み取る。こうした訓練が
必要だ。


同時に、家庭内でのコミュニケーションでも意見を求め、その根拠を考
えさせるようにすること。もちろん四六時中そんな会話しかない家庭は
疲れて仕方ないとは思う。でも一日に一回でも親が意識的に子どもに考
えさせる時間を設けるぐらいなら、そんな苦にならないはずだ。そのた
めのネタは何でもいいんだしね。


夏休みから始めてみてはいかがでしょう。






本日の稽古:

  腹筋、カール、インクラインベンチプレス、スクワット
  砂袋:突き120本、蹴り100本
  立禅

外国語を身につけるための日本語レッスン

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