さわりは多様な方がよくないか


クラシックCDで35万セット。


「ベスト・クラシック100」。一万枚売れればヒットといわれるクラ
シックCDでは、記録的なヒットとなっているらしい。しかも、これ6
枚組のセットものだそうだ(日本経済新聞2005/7/19朝刊より)


その中身はクラシック名曲のさわり集。だからもちろん全曲通して聴け
るわけではない。名曲の一部を長くても8分程度聴けるだけである。


似たようなブームは文学の世界でもある。『あらすじで読む〜シリーズ』
とか『たった10分で味わえる 感動!日本の名著』(ホントかよ!)
等々。ちなみに後者では西田幾多郎の「善の研究」までが数ページでま
とめられているらしい(ウッソー! 京大文学部哲学科社会学専攻落第
生代表の声)。


こうした現象の背景として日経の記事は「広く浅く名作かじる」と題し
て、古典回帰あるいは教養主義の復活を読んでいるようだ。これがマー
ケティング的にどうなのか。


まず企画サイドが設定したターゲットと、実際の購買者が大きく異なっ
ているらしい。『あらすじで読む』シリーズの想定読者は若者だったら
しいが、実際の購読者の7割が50代以上だとか。


しかも、こうしたダイジェスト版は売れているにもかかわらず、その原
著の売れ行きはほとんど変わらないらしい。ということは、ほんとにあ
らすじ(以下だと思うけど、10分でわかる程度のことなんて)だけで
購読者は満足しているようだ。とすればこれは企画サイドが狙った価値
の核心なんだろうか。


と思わず、いらぬ突っ込みを入れたくなってしまうのだが、そこには
ちょっと危険な兆候まで感じてしまうといってはいい過ぎか。


名作が名作たるゆえんは(えらい大仰な言い方だけど、そんな気分なの
でご勘弁を)、読み手によって多種多彩な解釈を許すことにあるのでは
ないか。たとえばドストエフスキー罪と罰』といえば、まず大半の人
ラスコーリニコフの生き様や考え方から、いろんな思いを自分の心の
中に浮かび上がらせるのだろう。とはいえ、みんながみんな老婆殺しの
シーンにインプレッションを受けるわけではなく、その前後にも、それ
こそ無数なぐらい感じる部分はあるはずだ。あるいはラスコーリニコフ
以外の登場人物に感情移入する読み方だって、当然あっていい。


にもかかわらず「『罪と罰」はこうですよ」なんて一部分だけを取り上
げて、みんなが「ふ〜ん、ドストエフスキーの『罪と罰』って、そうな
んだ」なんて画一的な印象を持っていいんだろうか。しかも50代以上
の人たちがですよ。


ましてや『善の研究』においてをや! 一体、どんな思考回路を持って
いれば、あの大著を数ページでまとめられるのか。そんなことのできる
編集者は大天災(おお〜っと変換し間違っちまったい)か、とんでもな
いボンクラのどっちかだ。


ちょっと興奮してしまった。


仮に出版社の狙い通りに、若い人が、これをキッカケとして、原著の世
界に入っていくのなら問題はない。とはいえサビアタマ世代は、サビだ
けザッピングして、それで満足する習性があるから、キッカケだけ与え
てもその中に入っていくかどうかは疑問は残るけど。


でも50代以上なわけでしょう、実際の購買者は。なら、もう少し突っ
込んだマーケティングがあってしかるべきじゃないんでしょうか。


「日本の名著」を取り上げるなら、それでもいい。ただし、あらすじ、
あるいは感動シーンの取り上げ方に多面性をもたすべきだろう。たとえ
ば20代編集者女性から見れば、このシーンが素晴しい、あるいは40
代編集長からすれば、この小説の肝はここに集約されておるではないか、
等々。侃々諤々、一冊の名著を多面的に読み解いてみたら、どうなんだ。


こうしたシリーズの方が、ずっとおもしろいし、仮に読者を50代以上
に設定するなら「頭の刺激になる名作の読みどころ」シリーズなんて、
セールスポイントも明確にできると思うのだが。どうだろうか。







本日の稽古:

  腹筋100、カール30