教育はサービス業でいいのか


年収500万でうちに通わせるのは難しい(毎日新聞7月21日より)。


言ってくれるわね、という感じだが、これは学習塾を経営する朝日塾中
学校の話。同校は英語教育に力を入れ、岡山一の進学校をめざしている。
その学園長は「貧乏な子が一流大に行ける時代ではない。学校はサービ
ス業。よりよい商品を提供するが、買う側にも経済力と学力がいる」と。
これは一つの見識だろう。


トヨタJR東海が主体となって来春開校する全寮制のエリート育成中
高一貫校「海陽学園」も年間300万円ぐらいの学費が必要らしい(と
いうことは6年間でなんと1800万だ)。東大入学者は、その保護者
の平均年収が1000万を超えているという。いい学校へ行くためには
お金がいる。これが常識なんだろう。


平均的な意味で、いい学校<ニアイコール>一流大というのは当たって
いる。学校はサービス業という視点もあっていい。しかし、それだけで
いいんだろうか。教育って、そんなもんか。


子育ては未来創り。子どもは、未来を担う人だ。ちょっと極論かもしれ
ないけれど、人としていちばん大切な使命は、未来を担う子どもを育て
ることだと思っている。


いい(何がいいのかは議論が必要だが)教育には、お金がかかる。こう
したシステムの中に我々は生きている。このことは認めよう。だからと
いってお金がない人の子どもには、いい教育を受ける機会が閉ざされて
いていいんだろうか。


ここが本来なら国の役割だろう。しかし「国のゆとり教育は『わが子に
必要な教育や学力は金で買え』ということ」になっているらしい。そう
なんか!


ほんまは、ここがおかしいねん。国力は、つまるところ人の力なんやか
ら、お金の有る無しに関わらず、持てる能力を徹底的に伸ばしてあげる
システムを作らなあかんねん。明治時代はそうやって国力を伸ばしたは
ずや。日本は天然資源が何もなくて、耕地面積も全然足りてなくて、お
まけに水だって食料に形を変えて輸入しまくってる国なんやから、人の
力がなかったら、この先国が成り立っていかへんねん。


ちょっと、興奮してもた。


私事で恐縮だけど、自分の子どもが幼稚園年中になったときから、寺子
屋みたいなものを開いている。今年で5年目、いま中学生一人を入れて
6人の子が来てくれている。この子たちに教えようとがんばっているの
が、算数とロジカルコミュニケーション(いわゆる国語なんだけど、学
校の国語とはちょっと違う)。その最終的な狙いは、いろんな物事に対
して、自分できちんと筋道立てて考えられること、考えた結果を人にわ
かりやすく伝えられること、人の意見をできる限りフラットに受け止め
られることの三つ。まだまだ目標にはほど遠いのが現状で、この先、ど
う展開していけばいいのかもはっきりとは見えていない。週に一回、一
人30分の個別対応での限界も感じている。


でも、成果も感じる。拙いやり方で子どもたちには申し訳ないけど、何
らかの刺激にはなっていると思う。


そこで提案なんだけど、これから大量にリタイアする団塊の人たちが、
こんな寺子屋をやってはくれないだろうか。教員免許が必要なわけじゃ
ない。ロジカルコミュニケーションといっても、特別に難しいわけでも
ない。わかりやすく使いやすいテキストもある。算数だって小学生レベ
ルだ。若干進んだとしてもせいぜい方程式がわかれば、充分だと思う。


ポイントは、子どもの気持ちになって対応してあげられるかどうか。こ
こにはサービス業の視点が必要かもしれない。理想的にはさわりだけで
もいいからコーチングを学んでもらった方がいい。そしてできる限り一
対一のシステムでやる。


学校と進学塾の中間ではない。今の学校でも塾でも教えていなくて、で
も大切なことを教える寺子屋。そんなものが広まればいいのにというか、
広められないものかと思う。











本日の稽古:

  拳立:30
  腹筋:60
  スクワット:200
  

イラスト版ロジカル・コミュニケーション―子どもとマスターする50の考える技術・話す技術

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