もしパソコンがなくなれば


原稿を書くのが主な仕事だ。


20代の終わりぐらいからコピーライターを始め、そ
れ以来ずっと書く仕事を続けてきた。最初はもちろん
手書きである。コピーライターなんだから筆記用具に
もこだわらなくちゃと0.9ミリのシャープペンシル
に2Bぐらいの芯をいれて書いていた。


手が真っ黒になった。その黒さが、どれだけ仕事した
かのバロメーターだと思っていた。バカですねぇ。キ
ャッチコピーは、できるだけでっかく。B4の原稿用
紙一枚に一本だけみたいな、無駄なこともしてた。


デザイナーに18文字で7行とか指示されると、最後
の行も15字から18字で揃えるのが技術だなんて思
っていた。アホやな。


コピー原稿をそのままクライアントに見せることもあ
ったから、字は大きく読みやすく、つまりクセのない
字と心がけていた。


企画書も、もちろん手書きである。青色のケイが薄く
入ったグラフ用紙に、定規を使って書いていった。強
調したいところは、太いマジックを使ったりして、上
手な人の書く企画書は、ちょっとした職人芸でもあっ
た。


そしてマックの時代がくる。


パソコンを使い始めた頃は、ライターなら手書きじゃ
ないとみたいな意見もあった。今さらキーボードなん
か覚えられるかよっていう御大も多かった。


ところが10年やってみると、手書きとキーボードで
は何か本質的な違いがあるように思う。表面上の違い
は早さだ。だが早さが質の違いに繋がっているような
気がする。


早いからいくらでも書き直したり、推敲したりできる。
超整理法』シリーズで知られる野口悠紀雄先生に話
を聞いたときなど「私は、だいたい400回ぐらい推
敲しますね」なんておっしゃってた。


逆に考えれば、手書きのときは一行、いや一文字を書
くのにもじっくり考えていたのかもしれない。吟味し
て言葉を選びながら文章を綴っていく方がいいのか。
とにかく早く書いて、何回も推敲を繰り返した方がい
いのか。


どちらが良い悪いではなく、二つのアプローチからは
たどり着けるゴールが違うような気がする。


もう一つ、手書きとの違いを挙げておけば、自分が書
いた文章との距離感がある。手書きの文章は、自分の
一部のような気がしてならない。だから愛着がわく。
それが推敲を重ねるときの判断に影響することは容易
に予測がつく。


しかしモニターにきちんとしたフォントで表現される
文字は、あくまでも自分の外部の存在だ。意味が通じ
やすいか、文章の流れは適切かなどを、手書きよりは
客観的にみることができるように思う。


いずれにしても今後手書きに戻ることはないだろう。
その意味ではパソコンがないと仕事をできない体になっ
てしまった。今度は壊れないように祈るばかりである。


「超」文章法 (中公新書)

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