書くことを楽しませるには


わが子に教える作文教室 (講談社現代新書)

わが子に教える作文教室 (講談社現代新書)



作文は誉め伸ばしで。


『わが子に教える作文教室』清水義範を読んで、目からうろこボロッ
(というような書き方を確か清水氏は嫌ってたな)である。


作文が最高の思考訓練の一つであることはわかっている。と同時に子ど
もにとって、もっともイヤなことの一つであることも。作文を書こうか
といえば
「え〜、いやや」
「なんで?」
「だって、何書いたらええか、わからへんもん」
なんて会話になることが多い。


この時の子どもの心理を考えるべきだったのだ。「何、書いたらええか
って、この間の遠足のこととか運動会のこととか。いろいろあるやん」
と答えたのでは、子どもによりプレッシャーを与えるだけ。こうした言
葉に誘われて「じゃあ、あの時のことを書こう」と子どもはまず思わな
い。


子どもの「何書いたら『ええか』わからへん」という言葉からこそ、そ
の気持ちを読み取るべきだったのだ。


子どもにとって作文とは、感動したことや素晴らしかったことを『ええ
ように』書かなければならないものなのである。提出した作文をまず読
むのは先生だから、先生に誉めてもらえるような文章を書かなければな
らないというプレッシャーがある。さらにその作文は、いずれお父さん
やお母さんも見るのだから、親の目も意識しなければならない。


そんな気持ちで文章を書いて楽しいわけがない。清水先生は喝破する。


何よりも大切なのは、文章を書くことのおもしろさを肌で感じさせるこ
とだと。そのためには「何でも好きに書いていいんだよ。友だちの悪口
でも、お父さんが家でおならばかりしてこまるんだ、なんてことでも」
と書く内容についてのハードルを、まず目一杯低くしてあげる。


そして書いたものを、必ずほめる。ここは少し考えどころで、文章をよ
く読んで、子どもが納得するようなほめ方をする。仮に「今日は、朝何
時に起きました。起きて次は何々をしました」式の作文だったとしても、
時間通りにあったことを良く覚えていて、きちんと書けているね、とい
った調子だ。要するにこじつけでいいのだけれど、子どもにもわかるよ
うな嘘ほめはダメねってこと。


何を書いてもほめてもらえるんだ。と思えば、子どもは書くことを少な
くとも嫌がらなくなる。


この意識転換が大切なのだ。そしてしり取りや早口言葉、学年に応じて
回文(上から読んでも、下から読んでも同じ文章になるってやつです
ね)作りなどの言葉遊びを一緒にしてやる。ここから子どもは言葉を学
ぶ。


然る後に、
・比喩表現のおもしろさ(今日は、自分がアリさんになったつもりで文
章を作ってみようかとか、お母さんを動物に例えたら何だろ、みたいな)
・接続詞への気づき(順接、逆説、理由付けなど前後の文章の論理構造
を考えさせる最高の思考訓練。今日は「しかし」を使ってみようとか)
・形容詞の使い方(心の響きを表現する「甘い」「かわいい」「きれ
い」「きたない」「ずるい」などを使ってみようね、なんて具合)
から、果てはパロディ、そしてユーモアのある文章(ここまでくれば、
長じて文章でメシを食える可能性も高し)へと導く。


その過程で、教える側が絶対にやってはいけないことが一つ。作文教育
と道徳教育を混同しないこと。もし「僕は、妹がダイッキライです」な
んて作文が出てきても「そんなこと書いちゃいかんだろ」と怒ってはい
けない。


そうじゃなくて、まず同意。「ふ〜ん、○○君は妹のことが嫌いなんだ
ね」と書いたことを認めてあげることから始める。「なるほど、こんな
ところが、こんなぐあいにイヤなんだね」と書いたことをしっかりと読
んであげる。作文教育としては、それだけで十分だ。どうしても道徳教
育を持ち込みたいなら、最後にひと言だけ。「そんなイヤな妹だけれど、
これまでにかわいいなと思ったことはない?」ぐらいにとどめておくべ
きだろう。


ともかく、こうしたプロセスをきちんと踏めば、たいていの子どもは書
くことを嫌がらなくなる。書くことを楽しむようになる。そして、これ
がすごいことなんだけれど、書くことは考えることに直結している。ま
さしく作文は最高の思考訓練になるのだ。


読む力、分析する力に加えて書く力を子どもが身につけられるように。
そのためにできることをやっていきたい。






昨日のI/O

In:
同門女性の十人組手(めちゃ、感動!)
『わが子に教える作文教室』清水義範
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昨日の稽古: