話せば伸びる


たとえばバイリンガル


両親のどちらかがアメリカ人で、幼い頃にアメリカで暮らしていた。そ
んな子どもが英語をうまいのは当たり前だ。その子どもは、生まれ育っ
た環境の中で、ごく自然に英語を身につけたのだから。


では、バイリンガルではない子どもの日本語能力はどうか。もってまわ
った問いの建て方で申し訳ないが、簡単にいえば、日本人の両親の元で、
日本に生まれ育った子どもの日本語の能力はどうかということ。これが
小学校の3年生ぐらいになるとかなり個人差が出てくる。


漢字をどれだけ知っているかは、まさにどれだけ漢字読み書きの練習を
したかに比例するから、それは問わない。問題は自分の気持ちを的確に
日本語で表現する能力である。小学校3年生といえば、その人生経験は
まだわずかに9年ぐらいにしかならない。しかし、差が出る。


なぜ、そんな短い間にはっきりとした差が出るのかが不思議だった。そ
してこの謎を見事に解いてくれたのが、内田樹先生の『知に働けば蔵が
建つ』である。この本の中では、次のような説明がなされている。


〜家庭内に語彙が豊かで、修辞や論理的なプレゼンテーションにすぐれ
た人間がいる子どもと、そうでない子どもの間では「自分の気持ちを自
由に表現する」ことにおいてすでに決定的な差が存在するだろう(同書
64ページ)〜


なるほど。であるなら、逆また真なりじゃないか。親が意識していろん
な言葉を使い、できるだけ筋道のはっきりした話し方を心がければ、ど
うなるのか。そんな言語環境は子どもにきっとよい影響を与えるはずだ。


何度も書いてきたこどだけれど、表現力と、その背景となる論理的に物
事を考える力こそが、子ども(に限らないけれど)にとっていちばん大
切な能力だと思っている。といっても、これはそんなに小難しく考える
必要はない。自分で判断し、理由を言えること。たったこれだけ。


何かのテーマが与えられたときに、まず自分で判断できること。この判
断は基本的に二分法プラス判断留保でいい。すごく単純化するなら、好
き嫌いどちらともいえない、良い悪いどちらともいえない。そんなレベ
ルで十分だ。


ただし、なぜ「自分は」そう判断するのか、その理由を人に説明できる
こと。ここがポイントだ。人に説明しようと考えるからこそ、理屈を通
さなければならないと意識する。その意識があれば自然に、自分の判断
がそれでいいかどうかを、もう一度考えるようにはずだ。


ここで思考のサイクルが一回まわる。


この思考サイクルを無意識に回せるようになることが肝なのだ。最初は
面倒に感じるかもしれないけれど、幼いうちに、このように考えるクセ
(本当にクセみたいなものだ)を身につけてしまえれば、後は楽である。


そして内田先生の論によるなら、子どもに考えるクセをつけさせるは別
に難しいことじゃない。そのために特別に時間を作って勉強させる必要
すらない。家庭内での会話が、判断〜理由表明〜検証になっていればい
いわけだ。


たとえばお父さんは通勤の行き帰りの中で、何か一つネタを探す。ある
いはお母さんが、その日にあったことの中からネタを見つけてきてもい
い。そのネタについて、晩ご飯を食べてるときにでも「今日なあ、こん
なことあってんで。どう思う?」みたいな感じで、子どもに問いかける。


最初の間は、子どもの答えに対して「なんで?」と突っ込まない方がい
い。それよりも「そうか。●●ちゃんは、そんなふうに思うんや。お父
さんは、ちょっと違うねんけどな」と、違った視点のあることを気づか
せてあげる。慣れてくれば、なんでやろな、ぐらいのやさしい聞き方を
しながら、自然に理由を言えるように持っていく。


こんな習慣が、きっと子どもの思考能力、表現能力を高めることにとっ
ても役立つはずだ。早速、今日からやってみよっと。




昨日のI/O

In:
『企業家とは何か/シュンペーター
S社インタビュー
Q社インタビュー
Out:


昨日の稽古: