型は実戦で使えるのか


隠されていた空手―「型は教えても手は教えるな」の謎を解明する

隠されていた空手―「型は教えても手は教えるな」の謎を解明する



確かに、ずっと疑問ではあった。


型の稽古は、一体何に役立つのだろうかと。もちろん型には空手の動き
のエッセンスが込められているのだから、それを体に覚えこませること
は空手的な身のこなしに役立つはず。そんなふうにこれまでは考えてき
たのだけれど。


それでも、たとえば平安二段の最初の動きなどは、正直なところ、よ〜
わからんかった。これは一体なんじゃろうかと。もしかした達人は、こ
んな動作をするのだろうな、きっと。なんて思いながら覚えようとした。


こうした疑問を解決してくれるサイトがあって、時々のぞいていたのだ
けれど、そのサイトオーナーがこのたび本を出した。名付けて『隠され
ていた空手』。型についての疑問が見事に説明されている。


何が隠されていたのかといえば、型の意味である。もちろん型の各動作
は、こんなときに、こんな風に使うといろんな空手雑誌などで解説され
てきた。だが、そうした解説には決定的にかけていたポイントがあると
いう。


たとえば。動作につけた名前がカモフラージュであること。何のことか
といえば、基本的に「受け」を言葉通りにとってはいけないということ。
早い話が空手に、受けで終わる動作はないのだ(何となく納得)。


あるいは前手は攻撃。少なくとも型を分解して理解するなら、前の手で
受けて、後ろの手で攻撃などという悠長なことはありえないという。つ
まり型は決め手の姿であり、ということは前の手は相手への攻撃でなけ
ればならない(きっちり納得)。


さらに二拍子を一拍子で行う。型は練習用なので、実戦なら一瞬のうち
にやるべき動作を、二つに分けているらしい。なるほど。たとえば平安
初段の第一挙動などがこれに当てはまる。もし、あの動作を一挙動でや
ろうとすればスイッチステップが必要になるのだけれど、それはなかな
か理合の通った動きになる(激しく納得)。


ここから先は、勝手な推測。


そもそも古武道は、すべて口伝で伝えられた。理解の程度が初伝、中伝、
奥伝、そして免許皆伝となっていったはずだ。そして免許皆伝となれば、
目録をもらえる。といっても、この目録はマニュアルのようなものとは
まったく違う。


おそらく技や型の名前が記されたものだったのではないか。そこに自分
が稽古で学んだことを書き込んでいく。これこそが、一人ひとりにとっ
てのかけがえのない手控えとなった。


ここで考えるべきは「稽古」の意味だろう。「稽」という文字には考え
るという意味がある。だから稽古とは、昔から伝えられてきたこと、先
輩から教えられてきたことを考えるという意味だ。まさに学ぶとは真似
ぶことから始まり、その意味は自分で考えていけということだ。


そして世阿弥の解く「守破離」を目指すべきなのだろう。まあ、始めた
のが遅かったから離の境地にたどり着くのは無理だとしても、せめて破
の入り口ぐらいまではいきたいものだ。ということで、足が治ったら型
稽古も復活させていこう。





昨日のI/O

In:
『隠されていた空手』
Out:
I社会社案内コピー原稿第二稿


昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・ミット稽古(軸と体の壁を意識しての蹴り、突き)
・受け返し(相手の攻撃に対してテーマを決めての受け返し)
・基本稽古(組手ができないので一人で基本を)
・補強