結果平等と機会平等


15の春は泣かせない


かつて京都府知事だった蜷川虎三さんの名セリフである。高校入試で泣
く中学生を救うために、京都の公立高校改革を行った。高校進学ではで
きる限り全入をめざす。そのためには公立高校に格差を付けない。基本
的にはそんな策が取られた。


その結果、たとえば京都の公立高校からの京大へとの進学者は大幅に減っ
た。学力均一化の方向へ持っていったことで、競争原理が働かなくなり
結果的には全体的な学力低下につながったのだ。


日本の戦後教育は、競争排除の歴史だという(日経ビジネス2005年
12月12日号)。義務教育は公平であるべきで、競争させてはならな
いらしい。別に競争至上主義を取れというつもりはないが、競争を避け
すぎればゆがみが生まれるのは当然だと思う。


たとえば運動会。1等、2等の差を付けない。その理由は、走るのが遅
かった子が劣等感を持つからだという。ここで決定的にかけている視点
は、じゃあ、がんばって走った子の気持ちはどうなるのかということ。
中には運動会で速く走ろうと練習した子だっているかもしれない。にも
かかわらずその子の努力は報われないままに放っておかれるのだ。


勉強にしても同じである。一生懸命勉強しても、誉めてもらえない。学
校の授業は、理解の遅い子に合わせるから、つまらない。退屈だからと
遊んでいれば、当然叱られる。これでは、子どものやる気をそぐために
学校は存在しているようなものだ。


さらに競争原理の排除は、教師のやる気にも影響したのではないか。子
どもの成績に差を付けないということは、そうした子どもを教育した教
師の成績にも差を付けないということだ。やってもやらなくても一緒な
ら、基本的に人間は楽な方に流れがちである。もちろん、すべての先生
がそうだとはいわないが、たまに訪れる公立学校の職員室の空気は、な
んとなくどよ〜んと淀んでいる。


しかも職員室が汚い。一般企業、それも優秀だと言われている企業がど
こもすっきりしたオフィスを構えているのとは、大違いである。


一方、私立学校はどうか。


教師は、もちろん公務員ではない。学校に雇用されているわけで、成績
が悪ければクビを切られる。クビを切られないためには、一生懸命に頑
張る。何を頑張るのか。生徒の学力向上である。


一方、学校側としては、まず教師の採用時の判断基準を高くして人を見
極め、同時に入学してくる生徒の学力も一定以上のレベルになければ入
学させない。最悪、問題を起こす生徒がいれば退学させて、環境を守る。


私立学校に通った場合と公立学校に進んだ場合では、どちらが学力を伸
ばせる機会が多いかは一目瞭然だろう。そして誰もが私立学校に進める
ような経済力を持つわけではない。


競争を廃し結果平等ばかりを求めてきた日本の学校教育は、いつの間に
か機会平等さえ奪うことになったようだ。そこでいい大学に入りたけれ
ば、親に経済力がなければ無理、という状況になっている。こうした状
況は、昨日のエントリーで書いたように階級の二極固定化につながって
いく。


学校改革こそが、日本にとって最重要の急務だと思う。
(明日へ続きます)






昨日のI/O

In:
日経ビジネス
Out:
I社社長インタビューメモ
S社会社案内コピー・フィニッシュ
I社入社案内コピー・フィニッシュ


昨日の稽古:富雄中学校体育館

・コンディショントレーニン
・基本稽古
・ミット稽古
・スパーリング

※あまりに寒いので、基本稽古をそれぞれいつもの倍の回数やる。これ
で少しは体が温まる。左の膝は、まだ強く蹴ると痛みがある。とはいえ
突き系の基本稽古は、ほぼ全力でできるようになってきた。