パソコンの価値って何?


なんか、また『VAIO』。別にSONYに対して含むところがあるわけじゃ
ない。ただ、なぜか突っ込みたくなる表現が、たまたまVAIOだったと。


ノートパソコンの広告である。キャッチコピーが「大量生産では、つく
れないもの。」ビジュアルは、木箱の中に黒っぽいノートタイプのVAIO
typeT)と赤いトマトが一つ。たぶん、この木箱はトマトを出荷する
ときに使うものなのだろう。
http://www.vaio.sony.co.jp/Products/Concept/VAIOgraphy/Html/Responsibility/index.html


ボディコピーで訴求しているのは、次のようなこと。


・工場は、ハイテクを駆使した最新鋭の工場じゃない(とは言い切って
 いないけれど、そんなニュアンスだ。ただし、最新鋭の工場=ベルト
 コンベアーといった考え方をしているようでもある)こと。
・ノーパソをセル生産方式で作っていること。
・流れ作業じゃないから、細かなところまでじっくりと手をかけている
 こと
・この工場ではとレーサビリティシステムを導入していること
・バイオの生産現場では効率を最優先しないこと


なんか違和感がある。


何だろうな、と考えていて思いついたのは、パソコンが何なのかという
視点が欠けていることと、価値/価格バランスがわからないことだ。


どうもバイオはパソコンを単なるツールとして捉えていないようだ。ま
ずそこに違和感を感じるのだろう。これはパソコンをツールとして割り
切って使うのか(=少なくとも3年ぐらい使ったら、新しいのに買い替
えないと環境の変化に対応できないツールぐらいの意味だ)、たとえば
コードヴァンのカバーをもつfilofaxのような、ほとんど一生もののよう
な愛玩文具的なものとして捉えるのか。この視点の違いのように感じる。


ここがすんなりと理解できないのだ。たとえばノーパソに限ればバイオ
が、DELLやHPとは違ったポジショニングを取ろうとしていることはわ
かる。DELLやHPといえば、それこそ大量生産、国外生産(=工賃が安
い)によって、可能な限りの低価格路線を取っている製品だ。


そして、ここからもう一つの引っ掛かり、価値/価格バランスの問題へ
とつながる。DELLやHPは、たとえば598とか798とか。安い、で
もそこそこ(=実用上は充分)な品質をアピールしている。パソコンは
ツールと割り切っていて、その明快な割り切り方が心地よい。


一方のバイオは、最高モデル(=最も愛着を持って使って欲しいモデル
ってことだろうな)で32万ぐらいもする。まあ、SONYブランドだか
ら、それでもいいのかもしれないんだけれど。でもなあ、仮に32万だ
しても、598モデルの5倍は使えんで、絶対に。なぜなら部品の保存
年数はこうした製品の場合8年だったはず。


ということは仮に部品の保存保証期間目一杯使って8年。これで32万
なら、1年あたり4万。それなら、少なくとも2年に1回、798ぐら
いのノーパソに買い替えて使っている方が、ずっと使い心地がいいので
はないか。


ということで、ここまで書いてきたわかったのだけれど、結局はノーパ
ソをどう捉えるか、ここに違和感があったのだ。バイオが取ろうとして
いるポジションを理解できないわけではない。でも、ノーパソは基本的
に道具である。少なくとも鑑賞物ではない。パソコンは、使ってなんぼ
のものである。


であるのに、差別化を図ろうとするあまりに、パソコン本来の価値とは
異なった土俵で勝負しようとしている。差別化のために土俵を変えて勝
負するのもマーケティングの王道ではあるが、それが土俵替えによって、
その製品が本来もたらすべき価値とは違ったところで勝負しようとして
いる。ここに違和感があるのだ。




昨日のI/O

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