ケータイもはや電話じゃない


一台六役


メールを使えて、ネットで情報を調べることができて、音楽を聴けて、写真を撮れて、テレビも見れちゃって、その上お財布代わりにもなる。これが今や十代の必須アイテムとなった『ケータイ』の機能である。


えっ? 何か、忘れちゃいませんかって。イヤイヤこれでいいのです。そう、彼らにとってこのツールはあくまでも『ケータイ』であって、決して携帯電話ではないのですね。だから、六役のついでにいざというときには「電話もかけられる」ぐらいの扱われ方でちょうどいい。


論より証拠(というか百聞は一見に如かずかな)。たとえば電車の中。十代と思しき人がいたら、その行動をとくとご覧遊ばせ。今どき『ケータイ』で何か話しているのは小学生かおばさん、おっちゃんぐらいでしょう。ティーンエイジャーで『ケータイ』を触っている子は、まずメール。じゃなきゃゲーム。


今年、ワンセグ放送が始まれば、テレビを見る子も増える、なんて思っているマーケッターは意外に足をすくわれるのではないか。少なくとも十代のユーザーにとって『ケータイ』は、完全なコミュニケーションツールである。だからもしテレビを見ることがあったとしても、あくまでもオマケでしかないと思う。


もちろん情報検索にも使うかもしれない。でも、それらは決してメインじゃない。『ケータイ』はあくまでもコミュニケーションツール、なんだけれども、そのコミュニケーションでは声よりも文字が圧倒的に好まれる。なぜだろうか。


とても不思議な現象だと思う。と同時に、コミュニケーションに関してパラダイムシフトが起こっているのではないか、とも思う。今の十代の子どもたちほどに、コミュニケーションにメール(デジタル文字といってもいいかもしれない)を使っている世代なんて、過去には存在しなかった。


これは推測でしかないが、彼らは鉛筆やペンで字を書くことは嫌いなはずだ。にも関わらず携帯でなら、文字を打つ。打つときと書くときの触感の違いに意味があるのだろうし、キーボード&モニターで書くデジタル文字と、ペン&紙で書くアナログ文字の違いは明らかだと思う。ポイントは感情の込め方、表し方だ。


一つ、見過ごすべきじゃないのは絵文字を使った表現の多用だ。その絵文字が表すのは感情である。ちょっと飛躍した話になるけれども、要するに彼らは、声ではもう自分の感情をうまく伝えることができないのじゃないか。幼い頃から感情表現をぶつけあった経験が乏しいから、声のニュアンスだけで特定の感情を共有することができない。だから通話ではすぐに行き違いが起こってしまう。


そこで絵文字に頼る。絵文字は、みんなが理解しているコードに基づいて使われる。だから特定の絵文字が表している感情は、誰もが同じように受けとめることができる。誤解される恐れがないから、安心して使うことができる。


だとすれば、ここに何かマーケティングのヒントがあるんじゃないだろうか。今のCMを見ていると、感情を伝えるツール『ケータイ』といった捉え方が、あまりない。『ケータイ』を絵文字をコアとする、十代の感情表現メディアだとしたら、そこを突いたプロモーションがあっても、よさそうなものだと思うのだけれど。


もちろん、教育的見地からみれば感情表現を絵文字に頼りがちという状況は、明らかにマズいと思う。が、これについては、また別の機会に。



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