体ボロボロなんですか


年間84日


2005年の休肝日数である。ほぼ5日に1回、10日に2回、月に7回は酒を抜いていることになる。実は昨年は連続休肝の大きな波が二回あった。


まず最初は2月10日頃。ここのところ毎年きっちりやってくる『痛風様』ご来臨のために、有無をいわせず一週間ぶっとおしでの断酒となった。もう一つの波は10月末からのことで、これは審査を受けるための禁酒生活である。膝を痛めて審査をあきらめるまでの25日間中、なんと22日も酒を抜いていた。


こうした精進のかいあって年間休肝日数84日となったわけだが、これはなかなかの快挙である。しかも、ここまでやったのだからと、秘かな期待もあった。つまり、一年間でこれだけ酒を抜いたら、さすがに今年は痛風定期便もお休みだろうと。


ところが甘かったようだ。


体がおかしくなる。そんな予兆は先週の末ぐらいからあったのだ。仕事で大きな山を一つ越えてホッとしたと思ったらたちまち風邪をひいた。週明けの月曜日に歯医者の予約をとっていて、たまたまこの日は小康状態だったから、しかも息子と一緒に行く約束をしていたから、しかたがない、無理をしていった。たぶん、このときに精神的なダメージを受けたせいだろう(要するにこあかったっということですね)次の日に熱を出した。


今にして思えば、これが引き金だったのかもしれない。


ようやく風邪もおさまったので、稽古がんばんなきゃと出かけたのが昨夜のことである。ところが準備体操のときから、どうも右足の親指の動きがおかしい。なぜか、うまく曲がらないのだ。変だなあ、突き指でもしたんだろかってなもんである。まあ、しっかりマッサージしておけば大丈夫だろうと稽古に入ったのだが、さて。


同じ足での連続十本回し蹴り、しかも超特急で、なんてメニューにとりくんでいるときに異変が起こった。回し蹴りを蹴りながら「寝違える」。あり得ないことが起こってしまったのだ。左側の首の後ろ、ちょうど耳の下のあたりから2センチほど脳髄側にまわったところに電気が走る。


傾けることも回すこともできない。まあ、何とかだましだまし、できる範囲の稽古を続けるのだが、今度は右足の「親指付けね君」がなにやら自己主張の気配。まるで「オレがここ(親指の付け根ですね)にいんのを忘れんなよ、テメエ」みたいな。この時点で、悟りました。今年もきっちりと『痛風様』がいらっしゃったことを。


しかも首まがらんちゅうのに。クルマをバックさせるときには、上半身ごとえいやっと後ろを向かんとアカンのである。湿布をはって、マッサージするがいっこうに痛みはとれない。


ところでベテランの痛風持ちともなると「コルヒチン」を常備している(というか昨年の残りがある)。これが痛風の特効薬で3時間おきに飲まなければならないのと、飲むとお腹をこわすのが難点だが、そんなことはいってられない。寝る前に一錠飲み、3時間後に目覚ましをかけて眠る。


もちろんあおむけ大の字になって、なんてぜいたくな休み方はできない。首にビッと電気が走らない向きをおそるおそる探して、その状態で固定。みたいな寝方である。知らない人が見たら、みょうにかわいい寝姿かもしれない。


うとうとして夢を見る。何かの試合に出ているようだ。めっちゃでかいやつが相手である。が、負けるものかと向かって行き、必死に右足で前蹴りを出す。ところが前蹴りなのに、指先が曲がらない。アカンやん、中足を当てんと。このままいったらまともに指ぶつけてしまう。ヤバい。イッテーと思って目が覚めたのが2時間半後。


なるほど。痛風様はどんどん存在感をおましになっているようだ。ここでコルヒチンをさらに一錠飲んで、ついでにめざましをまた3時間後にかけて、無理にでも眠ろうとする。浅い、あさ〜い眠り。右足に鈍痛を抱え、左の首は曲がらない。


というわけで、今に至る。


今年のテーマが、また一つできてしまった。何としてでも『痛風完治』、これをめざす。




昨日のI/O

In:
『クーリエ』
『日経Kids+』
Out:
ポルタウォーキング・コピー
Relation誌・原稿訂正



昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・ミット稽古
  股関節を使った回し蹴り、早い回し蹴り、自分ペースでの回し蹴り
  ジャブ、ストレート&下突き、自分ペースでの突き
・スパーリング
  突きだけの受け返し
  突きだけのスパーリング(自分が参加できたのはここまで)