ジニ係数にみる日本の問題とは?


『所得差の拡大、若者のみ』


これは昨日の日経3面の見出し。この書き方は、かなり意図的だと思う。だって、すっと読めば「そっか〜。若者だけなのか。じゃ、それほど問題ないよな」となりがちだ。しかし本文をしっかり読めば、次のような見出しでも構わないはずだ(というか、こっちの方があたってると思いますけど)。


『若者の所得格差、固定化の恐れ』


どちらが正しいかという問題では、もちろんありません。もちろん日経に楯突こうなんて意図もまったくござんせん。ただ、見出しによって記事の印象がかなり変わること、だからこそ意識的に反対意見はどうなんだろうと考えるクセをつけていないと、アラヨってなぐらい簡単にミスリードされることを指摘しておきたい。


本題はジニ係数の問題だ。


ジニ係数って何かといえば、どれだけ社会が不公平になっているかを示す数字である。これが0なら、全員が同じ所得を得ていることになる。逆に1なら一人が全所得を独占していることになる。ということは、単純に考えれば日本のように平等化が進んだ国では低く、たとえば専制君主がいるような国では高いことになる。よくわかんないけれどイメージとしては、北朝鮮なんかはすごく高そうだ。それって社会主義の理想の反対なんだけれど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジニ係数


これが0.5を超えると、25%の人間が75%の富を持っている状態であり、相当にヤバいとされる。ちなみにアメリカは、04年度で0.466ぐらいとなっていて、すでにかなり危険水域に入っている。
http://www.fujisue.net/archives/2005/09/post_803.html


今のところ日本のジニ係数は0.308である。が、問題なのはトレンドだ。要するにジニ係数が増える傾向にあるのかどうかということで、これは確実に増えている。少なくとも日本社会が平等化に向かっていないことだけは確かそうだ。


さらに問題なのは、年齢層別のジニ係数である。


高齢層で大きくなるのはわかる。長年の努力の差が積もり積もってということだ。これはどこの国でも似たようなもので、理想的とはいえないかもしれないけれどそれほど問題ではない。


しかしここ10年ぐらいで30歳以下でのジニ係数が1割も増えている。つまり、この段階ですでに所得の差が大きくついていることになる。これが実は大問題だ。若い世代で差がつく理由はたぶん次の二つだろう。


まず、すぐに思いつくのがフリーターやニートなどでまともに働いていない人が増えていること。フリーターは210万人、ニートは60万人を超えているらしい。こうした人たちは所得がないか、あっても低いはずだ。


一方では大企業などでもこれまでのような年功序列賃金をやめていたり、ベンチャー起業で成功する若者が増えているから、今は20代でもたくさん稼ぐ人がふえている。これは日本全体が結果平等から機会平等の社会にシフトしてきている証でもあって、あながち悪いことではないと思う。


しかし、問題なのは、20代で広がったジニ係数が、彼らが30代、40代になったときにどうなってていくかである。20代でいったん広がったとしても、その後で挽回できるならそれほど大きな問題とはならないだろう。


ここで冒頭の見出しのつけ方に、問題の核心が戻ることになる。


現実的には、20代でフリーターやニートになった人たちが、その時点ですでに高所得を得ている人たちに、たとえば30代の10年で追い付くことは、相当に難しいと思う。もちろん追い付けないといっているわけではない。ただ確率的には非常に厳しくなるはずだ。


なぜなら、仮に20代の10年間をフリーターで送ったとすれば、その人がその10年で身に付けられたかもしれない何らかの専門的な能力を放棄したことになるからだ。専門性がすべての基準とはいわないけれど、それが高いほど得られる対価も高くなることはわかるだろう。もちろん30代で身に付けられないこともないけれど、20代で身につけた人との差は、そう簡単には縮まらないだろう。


そして問題の本質は、若年層で所得差が拡大し、それが恐らく今後、固定化していくこと。ここにある。その先にどんな循環が待っているかはたとえば『下流社会三浦展』に書かれている。かなり暗い階級社会の誕生である。といったことを朝から感じさせないための、あの見出しだったのかしらん。




昨日のI/O

In:
経営学入門』
『遠い太鼓/村上春樹
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顧客「不」満足調査・ご案内DM




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