その209億円はどこから生まれた?
証券50社で209億円
ちょっと前にあったジェイコム株の「ご」発注事件で、証券各社が大儲けをした。20代のデイトレーダーが一瞬にして30億ぐらい稼いだ、なんてニュースを覚えている方もたくさんいらっしゃるはず。ところが明らかなミスに同業者がつけ込んで、ボロ儲けしちゃいかんだろという金融相の暗喩的指導(って、そんな言葉あるのかな)を受けて、各社が儲けを吐き出すことになった。それがあわせて209億円。
具体的には、使い道さえまだきまっていないらしいけれど、とりあえず基金を作ることになったようだ(日経新聞2月15日)。
ここまでの話で、すでになんかおかしいと思う。
だって毎日の取引の中で、誰かの発注が誤発注かどうかなんて、瞬間的にはわからないでしょう。というか、そんなことを気にしていちいち確認していたんじゃ、株の取引なんてできないだろうし。
また結果的に今回のケースが誤発注だったことは間違いないとしても、そもそも誰かの誤発注によって利益を得ちゃいかんのかい、って思いませんか。
誤発注で儲けちゃだめ。そんな理屈が通るのなら「あの売り注文は、誤発注だったから取り消してくれ」なんて損した人が言い出したらどうするんだろ。というか、誰かが『誤判断』発注して損をするからこそ、その反対側に儲ける人がいるというのが株取引のルールじゃないんだろうか。
まあ、これはいちゃもん的な話だからおいとくとして、
本当は209億円も証券各社が儲けたってことが、不思議というか謎。いや、これこそが株取引の一面を象徴しているんだけれど、各社が利益として得た209億円は、どっから生まれたのでしょうかって、ことです。株の取引がゼロサムだってことが、ここには象徴されていると思う。ということは、みずほ証券が支払った何百億円かも、元をたどれば誰かの金だってことでしょう。
その中にはみずほを通して株の売買をしている人の手数料が含まれている。もちろん、誰かの誤発注とはいわないまでも、判断まちがい発注によるみずほの儲けも含まれている。株の取引って、基本的にはそんなもんじゃないのだろうか。
もちろんだからといって株取引をやっちゃだめだとか、ましてやそれで儲けたらあかん、なんて話をしているのではないので誤解ないように。
株を発行し、資金を調達する。その資金を運用して新しい価値を社会に創りだす。この資本主義の原理自体は、たぶん人類がいろいろ発明してきたもの(とか仕組みとか、考え方すべてを含めて)の中でも、かなりトップクラス的に優れたものだ。
そしてどこかの会社が優れた価値を創りだしそうだから投資をしたいという人のために「も」、株式市場は機能している。どの会社が、どんな価値を創造しようとしているのか。その価値は、どれくらいの対価を得そうか。その結果として、その会社の株価はどうなるんだろう・・・。
なんてことを考えるのは、たぶん知的ゲームとしてはかなりハイレベルに楽しいのだろうと思う。だって、いろんな変数が絡み合い、しかも絶対的な正解なんてない方程式を解くわけですからね、これはおもしろいに違いない。
子どもの教育カリキュラムの中に、株式のことをいれようなんて話がでているそうで、それはそれでいいことだと思う。資産って何か、儲ける(というか正確に表現するなら)まっとうな対価を得るってどういうことか。対価を得るための価値とは何か。価値を創りだすための資本は、どうやって調達するのか。こうした話をきちんと教えることは、とっても大切なことだ。
ここをしっかり教えておけば、株で儲けるのは何となく悪いこと、だとか、逆に儲けさえすれば何やったっていいんだ、などと考える人は減っていくに違いない。そして株式分割したからといって、その株に殺到する人が減ったり(要するにライブドアのようなやり方が通じなくなる)、あるいはMSBCを発行するような会社に投資する人が減ったりして(要するにライブドアのような会社に投資する人は少なくなる)、株式取引が本来の意味に近づくはずだ。
昨日のI/O
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山田法胤・薬師寺副住職対談メモ