見えない上段


上段を二発


久しぶりの組手で、きれいにもらってしまいました。組手をまともにやるのは一ヶ月ぶりぐらいか。とにかくまったく見えなかった。もともと上段のガードが甘い欠点はあるのだけれど、それにしてもねえ、見事にもらったというか。星がチカチカ、飛びましたよ。


上段への対応をどうするか。個人的には、これがず〜っと課題となっている。そして、やっかいなことに簡単に上段をいれられてしまうことが、一種のトラウマになってもいる。早い話がびびってしまうわけで、これを何とかしないと、今より上へはそう簡単にはいけないだろう。


では、なぜかくも簡単に上段をもらってしまうのか。


理屈で考えていけば、ガードをしていないから当てられてしまうわけだ。ということはポイントは、なぜガードをしていないのかと。ここに尽きる。これにはたぶん二つの理由があるのだと思う。一つは相手の蹴りが見えていないこと。もう一つは、ガードが低いために、蹴りがきたと思って反応してはいるのだが、まったく間に合っていないこと。


相手の蹴りが見えないのはどうしてなんだろうか。単純に考えれば、見えないのは見ていないからだと思う。


つまり昨日、上段をもらったパターンを反芻してみるに、一発目は相手が攻めてきて、こちらは防戦一方というか押し込まれている状態だった。守らなければと思うあまりに、体がガチガチになってしまう。やられるかも、といった恐怖感が先に立った時点で、相手の攻めを見る余裕がなくなってしまう。こういった流れだろう。


もう一発は、こちらが攻めに出た瞬間にカウンターを合わされたのだと思う。これは相手がうまい(全日本クラスの方だから当たり前といえばそれまでなんだけれど)というしかないのか。突きの間合い、だから上段が飛んでくることはまずない距離にも関わらず、こちらの突きを読んでいるかのように合わせられてしまった。


攻めに出ている時は、当然防御はできない。そこを狙われたのだとすれば、これはお手上げだ。もちろん練習用のスパーリングだから、全力・全速で突いているわけじゃない。だから、本当なら突きながらも、相手の攻めを意識しておくべきなんだけれど、そこまで気が回らなかった。


ところで、ガードが下がってしまう欠点については、自分の意識の問題だと思う。基本稽古のときから、ただ手を上げているのか、上段が飛んでくるんだと意識してガードしているのか。こうした気持ちの持ち方が大切なのだ。結果的に外から見れば同じように手が上がってはいても、単純に習慣として上げているのと、飛んでくる足のことを想像しながら上げているのでは稽古の深みが違ってくる。


黒帯の先輩同士が組手をしている様子をみていると、みんな、組手の間ずっとガードを上げたまま、なんてことではまったくない。手の位置は、だいたい胸の前ぐらいの高さだ。それでも上段はきっちりかわしたりさばいたり、ガードしたりしている。なんで、そんなことができるのか。自分とはどこが違うのか。


見ていて思うのは、余計な力が入っていないこと。そして、ここが自分とはまったく違うところなのだが(そんなことは当たり前のことなのだが)、みんな自然体である。といって気が抜けていたりするわけではまったくない。気負いなく、気が充実しているとでもいえばいいか。


だからスッと水が流れるように自然に反応できるのではないか。『心が武器になる』とは、塾長の言葉だけれど、まず心がしっかりしていないと何をやってもだめなのだ。ビビっているなんて論外である。


とはいうものの難しいなあ。それに正直言って、上段を蹴られるのはやっぱり恐い。葛藤である。


しかし、もう少し深く考えてみるなら、本当は突きだって上段を狙ってくるのだ。というか上段を突かないというのは、あくまでもルール上の話でしかなくて、武道としてみれば上段突きも、金的蹴りも当たり前のこと。


だから、もっと武道的に空手に取り組むべきなのだと思う。自分が何のために空手をやっているのかを考えれば、武道としてやっているわけだから。このあたりの気持ちの持ち方が、いちばん大事なんだと思う。




昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

 ・正確に狙うミット稽古
   相手が構えたところに、きっちりと突き・蹴りをあてる
 ・組手
 ・補強