ど近眼の悩み
ユーザー数、約1400万人
コンタクトレンズの使用者がざっとこれぐらいなのに対して、メガネ人口は約6000万。コンタクトの4倍である(日経新聞2月21日)。やはりメガネユーザーの方が多い。
メガネの市場規模は2003年を底としてV字回復を遂げている模様で、その背景にはメガネ男子ブームもあるのだろう。今でこそ若くてカッコいい男の子がメガネをかけると、よりもてるらしいが、わしらがガキの頃は、そんなことぜ〜んぜんなかった。
→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20051122
忘れもしない、小学校5年の時に初めてメガネをして学校へ行った朝のことだ。「や〜い、メガネザルゥ〜」なんてね、お決まりの文句で会う奴会う奴、みんなからはやされました。これがメガネコンプレックスの始まりである。
さすがに今から35年も前となると、小学校高学年とはいえクラスでメガネザルとなっているのは、多くて数人。この頃のメガネは決してカッコいいものではない。むしろガリ勉君などと呼ばれて(実際は違うのに)いわれもなくバカにされたり、その延長線上として運動音痴(略してウンチともいう)などあざけられたりもした。そういえば牛乳瓶の底、なんて蔑称もあったな。う〜む、思い出すとだんだん腹立ってくる。
たぶん高校生の頃にコンタクトレンズが普及し始める。オシャレ系のクラスメートたちは、メガネからコンタクトへとシフトして行った。しかし個人的には目の中にわざわざ異物を入れるなどという行為は、どう考えてもダメ。おっかなくって仕方がない。自分には縁のないものとあきらめていた。
大学に入ってもメガネ一筋である。この頃野球を本格的に始めて、それもピッチャー何ぞをやっていたので、メガネはかなり不便だった。汗をかくとすぐにずれますからね。
さらにバイクに乗りはじめたのだが、ここでもかなり面倒だった。フルフェイスのヘルメットをかぶる時とか、いちいちメガネを外さんとアカンでしょう。あれって結構鬱陶しいもんです。が、ほかに選択肢がないのだから仕方がない。
確かその頃に『目が良くなる体操』なんて本が出て、それを読んでは一生懸命書いてある訓練法をやったりもした。が、さっぱり効果はなかった。というわけで、ずっとメガネである。なぜかメガネの物持ちがよくて、大学2回生のときに作ったメガネを15年ぐらいしていた。
ところが40も過ぎてコンタクトをせざるを得ない羽目になった。空手のおかげである。いま習っている空手は、フルコンタクトといって相手を直接どついたり蹴ったりする。さすがに顔面を殴られることはないけれども、蹴りが頭に飛んでくることはしょっちゅうある。メガネをかけていては、非常に危険なのだ。
だから、最初の間は、組手稽古の時はメガネを外してやっていた。
しかしなんしろドチカメである。メガネを外すと、相手はまるで湯気の中にいるようにしか見えない(というかほとんど見えていない)。そんな状態で組手をするとどうなるか。ぼこぼこにされるのである。おまけにこっちの突きや蹴りはさっぱり当たらんのである。
これじゃあいかんとばかりに、ついにコンタクトレンズに手を出した。一日使い捨てタイプだ。メガネ人生30年間の後のコンタクト初体験は、なかなかにドキドキものだった。もちろん最初は目がうまく潤わなくてとっても痛かった。なかなかすんなりとは入ってくれないし。何とかかんとか入れたあとも、なんかゴロゴロしてとっても違和感があった。
しかも、単なるド近眼ではなく、強度の乱視も患っている。メガネなら何とか調整がつくし、コンタクトでも使い捨てタイプでなければ乱視もクリアできるのだが、さすがに使い捨てタイプでは完全な対応はムリ。だから不自由ではあるのだ。
しかしコンタクトの開放感は意外だった。同時にメガネがいかにわずらわしいものかもよくわかった。使い捨てタイプで強度チカメ&乱視対応タイプが出たら、乗り換えたろかしらん、なんて思うぐらいだ。
阪大の先生にきいた話では、自分の口の中の細胞を採って、その細胞から新しい角膜を作る技術が、ほぼ確立されつつあるらしい。あと5年ぐらいしたら、目だけまっさらに変えてもらえるようになるやもしれない。
そんなことが実現したら、とってもうれしい。でも、それってメガネ業界、コンタクト業界、そして眼科医から猛烈なバッシングを食らったりするかもだな。
昨日のI/O
In:
Out:
フラワーショップチラシ・ストーリーマインドマップ
昨日の稽古:
・カーツジョグ/これはめっちゃきつかった。効きました
・カーツ基本稽古