顔面ありが空手を変える


顔面「あり」と「なし」では、空手という名前は同じでも、その中身がまったく違ってくる。そのことを身を以て知りました。


昨日の稽古、顔面を狙った約束組手を何パターンかやったあとに、顔面ありの自由組手を少しやる。もちろん顔面ありとはいっても、顔面へは掌底で軽くというのがルール。が、これだけで組手の質が一変する。


まず意識がまったく変わってくる。上段への意識というか、集中力というか。これは逆に、ふだんの組手のときに、いかに上段を意識していないかを思い知ることになった。顔を攻められる恐怖心は、それぐらい集中力を高めるのだ。


さらに間合いが変わってくる。接近してボディのどつき合い、なんてパターンはまったくない。顔面に突きが届く間合いより、少し離れる。これぐらいの距離感覚をシビアに意識する。ということで、これまた、いつもの組手ではいかに間合いに無頓着になっているかがよくわかる。


間合いの見切りこそがすべて、なんてことを確か剣道の本かなんかで読んだことがあるのだけれど、その意味が少しだけわかった。


顔面に手が届く、顔面を手で攻める。ということは攻めが入った時点で、たぶん圧倒的に優位に立てるのだ。というか、立たなければ、本来の武道ではないのだ。


そのとき力はいらない。というか妙な力は逆に邪魔になるのだろう。ずっと以前に塾長に教えてもらった手を水平にふって目を切る技とか、相手の頬から顎にかけてを掌底で包み込むようにして、脳を揺さぶる技とか。こうした技は力を抜いた方が、うんと早いし、効果的だと思う。


また、うかつに蹴りを出すリスクもよくわかる。蹴りにいくと、どうしてもガードがおろそかになる。ということは相手からみれば、敵が蹴りにきたタイミングこそがチャンスなのだ。


蹴りの瞬間に間合いを詰めて、顔面を狙いに行く。仮にどこかに蹴りをもらったとしても、間合いが変わっているから100%力の入った蹴りではない。そして蹴りながら顔面を完全にガードすることは、ほぼ不可能。だから相手の蹴りに意識を集中する。これまた仮に攻めに出られずとも、ガードできる可能性が高まることを意味する。


顔面ありであえて蹴り技を出すとすれば、上半身を少し後ろに引きながらの下段や、前蹴り、あるいは横蹴りなど、できるだけ相手との間に距離を取れる蹴りになると思う。


なんてことが顔面あり(といっても、ほんの触りぐらいの程度だけれど)の組手をやってみてわかりました。力やスタミナで勝負するのがきつい年寄りには、こうした稽古も大切だと。というか、ふだんの稽古の時から、これぐらいの意識を持ってやれると、稽古の質が変わるわけで、やはり意識の持ち方が大切なのだと再確認した次第。


昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

 ・基本稽古
 ・約束組手
   ミットでの顔面攻撃の受け返し
   相手に正確に突き蹴りを入れる稽古
   中段への突き、下段への蹴りに耐える稽古
 ・自由組手
   上段あり
   上段なし