なぜ、いま「和」ブームなのか


5年前と比べて和風の暮らしがしたいと思うようになった人:49%


「日経消費マイニング」が実施した消費者調査の結果である(日経MJ3月1日)。『5年前と比べて』というのが、この調査のミソなのだが、ほかにも関心が高まったのは
・伝統的な日本料理:62.5%
・国内旅行:60%
・古典的な美しい日本語(あれま、私と同じだ):47.6%
・神社仏閣など:46.3%
・京都の伝統文化:43.1%


こうした結果をもって「和」が短期の流行ではなく、長期的な消費の基調の一つになろうとしていると日経MJ紙は解いている。しかも、こうした消費をリードしているのが20代の若者だという。ほんとだろうか。


まわりに20代はそれほどたくさんいないけれど、自分が見知る範囲では和にハマっている人は見かけない。とはいえ和に関心を持つからといって、では和装で表を歩くなどという話でもないので、ここはいったん20代のあるクラスターの中では「和」が受けているぐらいに受け止めておくことにする。


なぜ、こんな七面倒くさい註をつけておくかといえば、こうしたアンケート調査に答える・答えない、あるいはこうしたアンケートの対象となる・ならないといった時点で、すでにある程度のバイアスがかかっていると思うからだ。これは余談だけれども。


ともかく、なぜいま「和」が受けるのか。しかも20代に。


「和」が受けているとはいえ、右傾化や国粋主義といった傾向はまったくみられないようだ。むしろ彼らが子ども、あるいは次世代に最も伝えたいと思うことのトップ2は、「雅」などの京風の美意識や季節感、あるいは平和憲法や民主主義である。ここからは何を読みとるべきなのだろうか。


ひとつ思うのは、まさしく「和」を求めているのではないかということ。ここでいう「和」とは、聖徳太子がいった「和をもって尊しとなす」のニュアンスである。子どもの頃にバブル崩壊があったとはいえ、おそらく基本的には物質的にはめぐまれた環境で育ってきているはずだ。そして学校教育では、結果平等を教え込まれてきたのではないか。


人と競い合うよりも、むしろ誰とでも仲良くやりなさいといわれてきた世代である。ガツガツと争わなくても、それなりにゆとりをもって大人になってきた人たちだからこその価値観だとも考えられる。


あるいは、何となくではあるけれども1200年ほど前の日本と状況が似ているような気もする。推古朝のとき、聖徳太子が派遣した遣隋使を明治維新前夜の開国となぞらえるとどうなるか。遣隋使派遣により海外からいろんな文化が流れ込んできた末に、最終的には内向きな国風文化を求める平安時代へと日本は移っていった。


明治維新、開国からの百年あまりがこれと似たプロセスをたどっているとすれば、この先に国風派が台頭してくるのも、まさに歴史は繰り返すことになるのかもしれない。


もし、そうだとすれば、このネット時代の国風文化とはどんなものになるのか。あるいはネットを通じて世界と常につながっている状態の中で、内向きになるというのが、どういうことなのか。ある種、閉鎖的な側面をもつmixiのようなサービスが受けている状況との関連性は、などなどなかなか深く、興味深い状況だと思う。



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