価値と対価の関係は


ビジネスは価値と対価の交換。


対価を決めるのは、あくまでもお客さま。そのモノなりサービスなりを手に入れることによって実現できる価値に対する評価だけが、対価の基準となる。そんなふうに最近、強く思うようになってきた。


たいていの場合は、対価は価格としてはっきりと示されている。そこで価格、すなわち対価と価値のバランスを無意識のうちに判断して人はモノやサービスを買う、買わないを決めている。


そしてある特定のモノやサービスが、誰に対しても同じだけの価値を持っているかといえば、決してそんなわけではない。たとえばAという製品から得られる価値をどう評価するかは人によって違ってくる。なぜか。当たり前のことだけれど、受け手の価値観がそれだけ多様化しているからだ。


単純な話、50インチの液晶モニターが60万円で売られているとする。すると60万という対価を払ってでも、大画面の液晶でテレビを見ることに価値があると考える人ならこのモニターを買うだろう。もちろん、この場合は60万円という対価を、テレビに支払えるだけの経済的なゆとりがあるかどうかも制約条件の一つになるのだけれど。


しかし、経済状況が決定的な条件かといえば、決してそうではない。仮に60万円ぐらいは余裕で払えるとしても、テレビを見ることに価値はないと考える人が、このモニターを買うことはまずないだろう。逆にキャッシュで60万円を払うことはできないまでもローンを組めば払える人が、WBCはどうしても大型液晶で見たいと思えば買う可能性は高い。


要は、あくまでも液晶テレビを手に入れることによって得られる価値と対価のバランスの問題だ。


さて、ここまでの話には、モノやサービスの価格に決定的な影響を与える(と信じられている)要因がまったく出てきていないのだけれど、そのことにお気づきだろうか。


原価である。


先に例をあげた50インチの液晶モニターなら、やはりそれなりの原価がかかっている。さまざまなコストを積み上げた上での店頭販売価格が60万円というわけだ。しかしお客さまにとっては、原価はまったく関係ない。お客さまの判断基準は、あくまでも価値である。


だから、仮に原価1円、販売価格1万円のモノがあったとして、そのモノに絶対的な価値がある(たとえば、そのモノがなければ生きていけないとか、まったく仕事にならないとか)と判断するなら、お客さまは喜んで1万円の対価を払うだろう。


逆もまた真なり。仮にコストが1万円かかっていたとしても、それに誰も価値を見出さないようなモノなら、その販売価格を100円まで引き下げたとしても誰も手を出さないだろう。


と考えてくると、具体的なモノの場合はまだいい。そのものズバリがお客様の目に見えるし、たとえばテレビなら実際にどんなふうに見えるのか、価値をあらかじめ確かめることができる。ところが、これがサービスとなると価値を実感できるのは、たいていの場合サービスを受けた後だ。つまり対価を支払う意思決定をした後に、価値を判断することになる。


たとえばマッサージ。どうにも肩が凝って仕方がないから、ちょっと奮発して30分4000円ぐらいでしっかりと揉んでもらおうと考えたとする。ところが入ったマッサージ屋さんで当たったのが、どうみても大学生のバイトにしか見えない兄ちゃんで、これがまた力だけはやたらあるんだけれど、肝心のツボをわかっていないから、ただ皮膚が腫れ上がって痛いだけ、みたいな思いをしたことがある。


当然、4000円の価値はないと判断する。でも、後の祭りだ。しかも費やしたのはお金だけではない。30分という貴重な時間までそれに投じている。このあたりがサービス業のむずかしさである。だからこそサービス業では、そのサービスそのものがもたらす価値に加えて、雰囲気やクリンリネスなども重要なポイントになってくる。


プライシングはこれまで、教科書的にはマーケティングの4Pの一つとされ、他のPと同等の扱いを受けてきた。しかし、いまの日本や欧米のようにコモディティが完全に行き渡り、価値観が多様化している社会では、4Pから独立させて扱うべきテーマになっているのではないだろうか。あるいはバリューとプライスをつねにセットし、プライスを分母において考える。そんな視点、指標が必要になってきているのだと思う。




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