厄年について


6時間54分


今を去ること8年前の記録である。義父のホノルルマラソンチャレンジに付き合った。といっても走ったというよりは、最初から歩き通してももうちょっと速いんちゃうか、みたいなタイムではあるが。とにかく最初の30キロぐらいまでは意識としては走っていたのだ。


ロウソクは燃え尽きる前の一瞬、その火はいちばん大きく燃え盛るという。私の場合、これ以降の3年ぐらいが、まさにそうだったのではないか。今にして思えばの話だが。


次の年に最初の痛風に見舞われた。このときは、それが痛風であるとさえ気づかなかった。原因不明、とにかく足の親指の付け根がはれ上がり、まともに歩くことがままならない。が、さすがに最初である。幸いにして一日も経てば、痛みは速やかに収まってくれた。だから、一過性の足の腫れ、ぐらいにしか思わなかった。


厄年を前に空手を始める。この頃は、まだまだ自分の体を素直に信じることができた。何しろ41にして始めた憧れの武道である、張りきらないわけがない。ふりかえってみれば入門当初の半年ぐらいが、もっとも稽古した時期ではないだろうか。週二日の道場稽古に加えて、家でも週に三日はみっちり2時間、自主稽古をしていた。


しかし、体の中では少しずつ、でも確実に、年齢がその取り分を体力から奪い去っていたのかもしれない。


厄年に見舞われたのがぎっくり腰である。ある秋の朝、いつものように早起きをし、ウコン茶をいれるべく台所へ下りていった。花粉の季節でもないのに、なぜか鼻がむずむずする。こういうときは、思いっきりくしゃみをするのが一番とばかりに、気張ってみると腰にイヤな感じが走った。が、まさか、それがぎっくり腰だとは思いもしなかった。


腰がだるいときは腹筋すべし、腕がだるいときは腕立てすべし、足が重いときはスクワットすべしで、それまでの四十年間をやってきたのである。当然のように念入りに腹筋、背筋をこなし出張へと出向いていったのだ。


おかげで、その日の夕方、出張から戻る頃に腰の痛みは激痛に変わり、やがて動けなくなってしまった。お医者様の診断は、もちろんぎっくり腰であった。なるほど、厄年というのは体が徐々に衰え始め、いよいよ本格的に老いが始まる合図なのだと妙に納得した覚えがある。


そして厄年以降はとりあえず、痛風様の来臨が年中行事となった。一方、空手の方はかなり熱心に稽古を続け、緑帯をいただくところまでいった。いよいよ色帯を返上し、茶帯への挑戦が見えてきたのである。すこしマンネリ化していた稽古への熱が、またよみがえってくる。


砂袋を買い、腹筋台を買った。子どもが夏休みに入ったら、よい相手ができたとばかり、早朝稽古を始めた。「おまえの練習にお父ちゃんもつき合うたるから」なんていいながら、本当は逆だったのである。自分一人で朝から稽古なんて意気込んでも、そうは簡単に続くものではない。そこで、「子どものためやから」という『稽古をサボりたくなる気持ちストッパー』を噛ませたわけだ。目指すは秋の審査である。


子どもと一緒に朝の公園で一時間ほど基本、移動稽古をやった後、家に戻って砂袋を叩き、スクワットをする。これを3週間ほど続けたら、左の膝が壊れた。これは初めての経験である。何しろ膝をまったく曲げることができない。力が入らない。歩けない。


何がどうなったのかわからず病院へ行くと、膝蓋腱炎症という診断がくだされた。ジャンパーズニーともいう。バレーの選手やスキーヤーなど膝を酷使すると疲労に耐えきれなくなって起こる症状らしい。それ以降は、毎年、痛風様に加えて、この膝の故障にも悩まされることになる。


若い頃から、病には逆療法をもって対抗するがモットーであった。故に、痛風に対してはビールを焼酎に変え、ジャンパーズニーに対しては、さらなるスクワットで対抗してきた。が一昨年、さらにショックな出来事が起こる。


なぜかわからぬが、腕立てができなくなったのだ。自分の体に出る老いの特徴なのだが、必ず最初は左からである。痛風然り、膝もまた然り。このときも左肩にしびれが走り、腕に力が入らなくなってしまった。年のわりには腕力はある方というのが、最後の支えだったのに、それすらも失ってしまったのである。医者には行かなかったので確かなところはわからないが、これはいわゆる四十肩(あるいは五十肩というべきか)だったのだろう。


この年の春には二回目の膝蓋腱にも見舞われる。このときも、膝に違和感、痛みがあるのを自覚しながら、子どもと生駒山登りに出かけてしまった。自分では逆療法のつもりだったが、結果的には症状を悪化させるだけに終わってしまった。逆療法が効かない体になったというのは、自分的にはかなりなショックであった。


その後は、このブログでも過去に書いたことがある通り。昨秋の審査を受けようとがんばって膝を傷め、つい最近は加圧トレーニングなら大丈夫とばかり、階段上り下りを、やはり膝の痛みを自覚しながら無理してやって膝を痛め・・・。家人にいわせると「あほ」のひと言である。むべなるかな。


どうも本格的に加齢と戦わなければならないステージに入ったようである。この先、いかに健康的に老いていくか。こうしたテーマを真剣に考えなければならない年齢に差しかかったということだろう。これは、なかなかな難題である。が、できれば『ピンピン・コロリ』、死ぬ前まで元気で動き回っていて「あれ、さっきまで元気やったのに」といわれつつあの世へ旅立ちたい。そのために、老いとどう付き合って行くか。これからの大テーマである。



昨日のI/O

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『勇気凛々ルリの色 四十肩と恋愛/浅田次郎
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