花粉症対策について


病歴28年


おそらく世間で花粉症なる病が認められるずっと前から、春は悩ましい季節であった。なぜか目がかゆくなる。鼻が詰まる。詰まっているくせに、自分でも気づかぬままに水のような鼻がつーっと流れている。特に風邪をひいているわけでもないのに。


自分がこうした病に冒されていると気づいたのは、現役受験に失敗したときのことだった。ダメもとで受けた一期校に予想通り落ち、それ以降の1週間ほどを、雨戸を閉め切った部屋からほとんど出ずに過ごした。落ちるだろうなあとは思いつつも、受験したからには「もしかしたら受かるのではないか」などと若干の希望を持つのは人情というもの。それが完膚なきまでに砕かれて、やはり落ち込んでいたというわけだ。


だから、そうしたアンバランスな過ごし方が体に何らかの変調をもたらしたのだろうと思っていた。これが花粉症初年度の症状である。


とはいえ次の年以降の何年かは実は花粉に苦しんだ記憶がない。というのも大学に受かり、それからは好き放題の毎日を過ごすようになった。まったくのストレスフリーになったのがよかったのかもしれない。とりあえず、ほぼ毎日バイクに乗り外に出ていたにも関わらず、花粉症は出ていない。次に、この病と再開するのは会社勤めを始めてからだ。


大学に入るのに人より一年多くかかり、卒業するにも一年だぶってしまった。おかげで大学を出る頃には、そろそろ花粉症なる言葉が世に広まりつつあった。24のときに京都の印刷会社で働き始め、たっぷりとストレスを味わい、それが引き金となって花粉症に悩むようになった。春は曙ではなく、憂鬱な季節に変わったのだ。


働き始めた頃に住んでいたのは京都は北白川にある4畳半一間の下宿。風呂はないから、銭湯に行かなければならない。が、印刷屋は忙しいのである。80年代の半ばということは、まだまだ景気もよく、印刷の仕事がたくさんあった。だから毎日帰りが遅くなる。仕事帰りにメシを食い、そこでちょっとビールでも飲むと、もうダメ。帰ってからまたわざわざ風呂に行くなんてとてつもなくめんどくさい。


結局、花粉をたっぷり浴びたままで眠りにつくことになる。住んでいたところが北白川ということは、大文字をはじめ山が近い。さぞかし花粉がたくさん飛んでいたことだろう。というわけで見事な花粉症患者とあいなった。


以降、毎年春はうっとうしいのである。花粉症が世に広く知られるにつれて、さまざまな対策が考えだされ、また薬もたくさん出回り始めた。治療法の中には画期的なものもあるようだが、個人差もある。一概に効くとはいえないだろう。などと考え、積極的に治療することもなく今に至っている。


が、何とかしたい。せっかく、春のいい季節にぐずぐずやっているのはもったいないではないか。そう思い、とりあえずやってみたのが薬の早飲みである。要するに花粉が飛び始める前から花粉症の薬をしっかり飲む。これである程度はガードできればいいのだがと思って始めた。


ところがこの作戦が案外効いた。少なくともここ数年は花粉症の発症を遅らせることには完全に成功している。だいたい薬を飲み始めるのは1月末から遅くとも2月初め。これぐらい前から花粉症の薬を飲むことで、自分に一種の暗示をかけることにもなる。花粉が飛ぶ前から、がっちりガードしているんやから、少々花粉が飛んできても恐ないで、みたいな。


病は気からという。まったく何の裏付けもないおまじないだけれど、これが結構効くのだ。もちろん、おまじないであるから最終的には病に勝ちきるところまではいかない。相変わらず毎年、ピーク時の何日かは鼻づまりに苦しみ、まともに眠れぬ夜を過ごすことになる。が、しかし。それでも以前と比べれば、苦しみは雲泥の差がある。


これぞ、もしかしたら究極のプラシーボ効果か、などとも思う次第だ。というわけで、今年はまだ一度も不眠に悩まされていないのだが、さて。このまま春を乗り切ることができるのだろうか。



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『ことわざ・四字熟語に強くなる』
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