初マラソンの想い出


17263位


べったこが22050位。ちなみに一緒に走った(という表現はあまり正しくないが)谷川真理さんは、2時間39分でゴールしている。1998年のホノルルマラソンの記録である。


義父のホノルルマラソンチャレンジに付き合ったことは以前にも書いた通りだけれど、これが実はただの義理ではなく、ざっと30万ぐらいの賭けがセットになっていた。何しろ義父というぐらいだから、家人のお父さんである。えらいんである。すなわち、基本的にはハワイまでの足代から宿代から何からおごっちゃるけん、付き合いなさいと。ただし、である。万が一にでもわしに負けるようなことがあれば、あんた自腹切らんといけんよという約束になっていた。
http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060313


年の差にして約20。こちとらが38、といういことは向こうは還暦さんである。負けるはずもない。ということで「ゴッツァンです」とばかりにハワイへと旅立った。


二日前にはコースの下見を終え、前日にはウェルカムパーティに出て、いろいろとアドバイスを受ける。まあ、どう転んでも負けはないと高を括っていたのは確かだ。


さて、当日。


スタートは確か朝の5時か6時ぐらいだったと思うが、出発地点への送迎バスが3時にホテルに迎えに来る。いざ走り出すまでの待ち時間がやたら長いのだ。いい加減待ちくたびれたころに、ようやくスタートと相成った。号砲を撃ったのはKonishikiさんだった。


スタートの合図とともに、義父は脱兎の如く駆け出していく。あ〜、やっぱり素人さんやなあと思った。最初からそんなに飛ばしてどうすんねんなと。絶対にもたへんでと思いつつ走ること2時間あまり、これがちっとも追い付かんのだ。かなり焦る。焦ってはいるのだけれど、飛ばすわけにもいかない。何しろ42キロも走らんといけないのだ。並大抵の距離じゃない。ペース配分を誤れば、直ちにアウトである。


おっかしいなあと思いつつ走る。ところで寒いからなのかもしれないのだが、走っていてなぜかやたらにおしっこをしたくなる。ふだん走っているときには途中でトイレに行くことなどなかったのに、ホノルルでは最初の2時間ですでに3回ぐらいはストップする。


義父の姿は依然として見えない。やばい、まずい、えらいこっちゃと思いながらも、25キロを過ぎた頃から足が死に始める。そこまでは傍目にはほとんど歩いているようにしか見えなくとも、意識としてはあくまでも走っているつもりであった。ところが、このあたりから頭では「走らなきゃ」と命令を下しているものの、足がいうことを聞かなくなる。


立ち止まっては少し走り、また止まっては走りを繰り返していたのが、徐々に立ち止まったときに腰を下ろすようになり、ついにはしばらく座ってからではないと立ち上がれないようになった。しばし休んだ後、いざと思うのだが、これはもう走っているというよりはほとんど歩いているに近い状態である。義父のことなど完全に頭から飛んでいた。


が、35キロぐらいでなんと義父を発見する。さすがに疲れた様子で道ばたで休んでいた。


人間というのは、ほんとうに不思議な生き物だと思う。もうダメ、歩くのもしんどいとばかり、へたりかけていたのにも関わらず「負けたらアカンやん」と、この気持ち一つで再び体を動かすことができるのだ。そこから先は歩いているよりは少しだけ早いぐらいの早さではあるけれども、義父とデッドヒートを繰り広げることになる。


といっても向こうは、こちらに気づいていないのだ。こっちが先に義父を見つけたのをいいことに、見つかっちゃいかん、やる気を出されちゃ困ると、なんとか人ごみに紛れて追い越し、追い付かれそうになると、また隠れるなんてセコい真似を繰り返してしのいだのだ。


そしてゴール直前の登り坂。「もうダメ」と道ばたでへたっていると、なんと義父がタッタと歩いていくではないか。走ってこそいないものの、競歩に近いぐらいの足取りである。早いのである。


ここで離されたら絶対に追い付けない。危機意識が体から最後のエネルギーを振り絞ってくれた。そして最後の2キロぐらいは本当に走った。


17263 Atsumi Takebayashi 6:53:58。義父に勝つこと、わずかに5分でのゴールであった。



昨日のI/O

In:
Out:


昨日の稽古: