非常識の時代


7勝7敗なら、次の勝負の勝率は8割


これは千秋楽の大相撲の話。最終戦までの成績が7勝7敗、つまり、その場所での勝率はそこまで5割の力士なのに、最終日に、しかも相手の星が8勝6敗の場合に限っては、勝つ確率が8割にはね上がる。変じゃないかという指摘をしている本が『ヤバい経済学』だ(日経新聞5月15日)。


この本の著者は、結論を出すにあたって実に過去11年間にわたって、7勝7敗力士vs8勝6敗力士の千秋楽での取組3万2000番のデータを調べたという。すごいと思う。そのしつこさは驚嘆に値する。


そもそもアメリカ人でありながら、千秋楽の取組の不自然さに目を付けた観察眼が鋭い。相撲の八百長については以前から週刊誌で取りざたされていたから、何となくあるんだろうなあぐらいには思っていたけれど、こうしてデータの裏付けを証拠として示されると、もはやどんな逃げ口上も通じない。


大切なのは「おかしいな」と感じた自分の直感を信じることだ。


そう思って見れば、おかしなことなんていくらでもある。特にこれまでなら常識と思われてきたことで「ええ〜っ!」と言ってしまいそうになることが。


たとえば
相撲は日本の国技。当然ガチンコ勝負で八百長なんかあるはずない。
公務員といえば公僕。嘘をついたり悪事を働くわけがない。
NHKは公共放送。放送料を私利私欲のために使うはずがない。
巨人は球界の紳士。協定の不備を突くようなことをするはずがない。
社会保険庁といえば・・・。
政治家といえば、警察官といえば・・・。


あれ? 変ですよね。


というぐらいに、今の時代は『非常識の時代』である。それ変じゃないかって思ったら、そこで立ち止まってみるべきだ。流れに棹さして止まろうとすれば、流れに逆らうだけの力を出さなければならない。わざわざそんなことするより何も考えずに流されていた方が楽、という考え方もあるだろう。


ただし流されっぱなしだと、結局は誰か知恵のある人にうまく使われて最後は「ポイ」みたいな結果に終わることも多い。ツケは自分で払わなくてはならないのだ。


あるいは流されていることを正当化する手もある。人間は真理を自分に都合のよいことと結びつけやすく、自分と同じ考え方を支持しがちだ。しかし、これはクリティカルシンキングを学ぶものが、一番最初に注意される考え方でもある。放っておいたらたぶん、人は楽な方へ流される。でも流されちゃまずいんである。


だからといって、何もかもを疑えというわけじゃない。とりあえずは「そんなん常識やん」といわれた時に、あるいは自分で「これって常識だよね」って思いかけた時に、待てよと立ち止まってみる。そこから始めてはどうだろう。


常識といわれる考え方や基準が、その時代の、その地域の、もしかしたら特定の年代の、あるいは特定のグループの間でしか通用しないことがわかる(かもしれない)。たぶん、自分らしい生き方っていうのは、そこにたどり着いたところから始まるのだと思う。





昨日のI/O

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自立循環型住宅インタビュー記事
児玉清氏インタビュー記事


昨日の稽古:
 腕立て・腹筋・立禅・カーツ散歩