なぜ彼は火をつけてしまったのか


一学年百人足らず


彼が通っていた学校の30年ほど前の姿である。その学校は東大寺の参道を大仏殿に向かって進み、南大門を抜け小道を左に入ったところにあった。中高合わせて全校生徒600人足らず、グラウンドもまとまにないような学校だった。しかし関西では進学校として知られており、中学受験のために通っていた塾では最難関校の一つとして位置づけられていた。


運よく補欠で滑り込んだその中学には、やはりちょっと息苦しい感じがあった。一学年の人数が少ないために人間関係が濃密になりがちというか、逃げ場がないというか。あるいは小学校時代からきつい受験戦争を勝ち抜いてきたからかもしれないが、他人に対して妙に攻撃的な奴がいたりした。


逆に先生方はうるさいことは何も言わない。ほとんど自由放任主義である。自分に限っていえば中高6年間を通じて「勉強しろ」なんてことを先生からいわれたことも一度もなかった。記憶に残っているのは文学部志望だといった時に「あそこは就職のときに潰しが効かんでぇ」のひと言だけだ。


高2までで単位を取り終えているから、高3の時は学校をサボってもたいていは多めに見てもらえる。天気のいい日などは奈良公園で日向ぼっこしたり喫茶店紫煙をくゆらせたり。今にして思えば先生たちは自己責任の大切さを学んでほしいと思っていたのかもしれない。


ただし大学受験が迫ってくると(だいたい高2の夏休み明けぐらいから受験勉強が本格化したんじゃないだろうか)、それなりに緊迫した雰囲気になってくる。高3の最初の模擬試験で、まず合格できそうな学校がだいたい見えてしまう。しかし、それで楽になるわけではない。


仮にその時点でほぼ東大合格間違いなしと判定された奴は、それからが大変だ(ったと思う、自分にはまったく関係なかったけれど)。なにしろ今の成績を落とすことができないわけで、これはその後の一年間、気を抜けないことを意味する。


あるいは、そこで阪大なら50%ぐらいなんて結果が出た奴も、なかなかにきつい。現時点で50%なら期待が持てるわけで、やっぱりがんばらなきゃならない。まあ楽なのは私立志望を決めていて(ということは受験科目が限られていて)、しかもそんなに難関校は受けないって奴ぐらいで、あとはみんな、それなりのプレッシャーの中で一年を過ごすことになる。


それでも晴れて合格できた奴はいい。年間百人足らずの卒業生の中で20人ぐらいは浪人するのである。おそらく小学校の高学年から受験体制に入り、6年間一貫教育でさらに受験を意識してきた生徒の中には、浪人が決まると糸が切れたり、さらなるプレッシャーに悩む人もいたのだと思う。浪人期間中に重圧に耐えきれなくなった同級生もいる。自分より上の学年にも何人かそういう人がいたとも聞く。


とはいえ彼らの意識はあくまでも自分に向かい、それが自分以外の人間に向けられることはなかった。人を傷つけた話は、自分が卒業する以前の2500人ほどの卒業生の中でも聞いたことがない。


もちろん今回の事件は、極めて例外的なケースなのだと思う。自分の同級生の顔を思い浮かべてみても、彼と同じような行動をとったかもしれないと思わせる奴はいない。もちろん、彼の同級生達も、まさか彼が今回のような事件を引き起こすとは考えもしなかったことだろう。


しかし現実に事件は起こってしまった。なぜ、そんなに簡単に一線を越えてしまうことができたのか。


何より悔しいのは、彼が人を殺めてしまい、3人の命を奪ってしまってから「取り返しのつかないことをしてしまった」といっていることだ。なぜ、事を起こす前にそれがわからなかったのか。そこが理解できない。


だから理解できないことを理解しようとしても仕方がない。そんなことはしょせん無理な相談だ。ただ、その背景にあるものを自分なりに考えることをやめてはならない。これだけは強く思う。


わからなくても考える。考え続けて得られた何かを手がかりに、自分の子どもとの付き合い方の中で、あるいはまわりにいる子どもたちとの付き合い方の中で、こんなことが二度と起こらないように考えてあげること。それしかない。それが大人の責任である。



昨日のI/O

In:
『子どもはわかってくれない/内田樹
Out:
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昨日のBGM

Six/Soft Machine
EGE BAMYASI/CAN
First/Ash Ra Tempel
Tublar Bells/Mike Oldfield
the brand new heavies/the brand new heavies

昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター 軽運動室

・基本
・コンビネーション
・ミット稽古(突き)