なぜ女性だけが魔性の声を授かるのか
とりあえず、このビデオを見てください。今日の話はそれから。
→ http://www.youtube.com/watch?v=fVU27eLOclU
これまで46年生きてきて、その声を聞いた瞬間に、鳥肌が立ってしまった三人めの女性である。なぜか声にやられるのは、決まって女性だ。しかもこの場合、歌詞はほとんど意味を持たない。仮に歌詞に注意が向くとしても、それは同じ歌を何回か聞いた後である。
女性の声に惹かれるのは、自分が男性だからだろうか。そうなのかもしれないし、違うかもしれない。ここでは違うといった視点から考えてみたい。つまりある種の女性の声には、聞く人の性別を問わず、強烈な麻薬のように人を虜にして離さない力があるのではないか。と考えてみるに浮かんでくる言葉がある。『巫女』だ。
日本で巫女といえば卑弥呼だろう。そのシャーマニックな力によって彼女は邪馬台国を治めていたと記録に残っている。その記録『魏志倭人伝』によれば、卑弥呼は鬼道で衆を惑わしていたとある。この「鬼道」がどんなものなのか、「惑わす」というのがどんな状態を意味するのかは定かではないらしい。が、勝手な推測をすれば、卑弥呼はその声で人を支配したのではないか。
→ http://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼
ある種の音は、人の意識を麻痺させるほどの力を持つ。
たとえばモーツァルトの楽曲に癒し効果があるといわれる。特定のメロディーが、特定の音色(声を含む)で、さらに特定のビブラートなどをかけて流れてきたとき、多くの人はその音に魂を奪われる。魅了される。そうした音は、安らぎや癒しについての人間の根源的な記憶のどこかにつながっているのかもしれない。
ちなみに、これまでにその声に撃たれたシンガーは、元ちとせ、林明日香、そしてこの「Amazing 11 year old!!」Bianca Ryanである。元ちとせも林明日香もデビューは確か十代だった。年齢はシャーマニズム的には重要なポイントなのだ。適切な表現が見つからないのだが、女性がいわゆる「乙女」である年代、あるいは女性が、その聖性を保っている年齢といえばいいか。
まったくの私見ではあるけれども、ある時期までこうした聖性を保っていることが、男性と女性を決定的に隔てるカギだと思っている。女性にとってはこの聖性を失うことが、生物的に女性になることを意味しているのだと理解してもいる。そして何年かに一度、世界のどこかでごく稀に、その聖性のすべてを声に凝縮してしまったような女性が登場する。
昔ならそうした女性が巫女さんになったのだろう。その意味では、元ちとせや林明日香などの天才少女シンガーは、現代版の巫女である。冒頭のビデオに出ていたBianca Ryanも、あれが何らかのギミックでなければおそらく近いうちにデビューするに違いない。
しかし、こうした巫女的なボイスを武器にデビューしたシンガーには、実はとても険しい壁がすぐに立ちはだかることになる。なぜなら、彼女たちはデビューして人気を得るほどに、その聖性を保てなくなるからだ。優れた聖性をもち、その声に強い魅力がある女性ほど、多くの男性を引きつけてしまう。そして一度でも男性を受け入れてしまえば、その聖性は永遠に失われてしまう。
これが聖性を持つ女性アーティストの宿命的な矛盾である。そして、この矛盾をクリアできたアーティストは、おそらくいない。元ちとせはすでにその聖性を失った。林明日香も最近、とんとご無沙汰だ。もしBianca Ryanが本当にデビューしたら、どうなっていくのか。とても興味がある。
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