どんな音楽と、いつ出会うか


出会った音楽が、人の一生を決めることがある。


特に十代で聴いた音楽が、人格形成に決定的な影響を与えるケースがある。そう思う。私の場合は十歳が1970年になるわけで、ビートルズの来日は、何となくテレビで見たような見てないような世代である。とはいえ『モンキーズ』はずっと見ていたので、その流れの中でビートルズ騒ぎも見たような記憶が微かにある。


音楽を意識して聞き始めたのは、たぶんジョン・レノンの『イマジン』からだ。その流れでミッシェル・ポルナレフだとかカーペンターズポール・マッカートニーを聞くようになっていった。そこから遡ってビートルズも聞いた。これがドーナッツ盤(っていってもわかる人少ないんだろうなあ)の時代のこと。


中学に入ってラジオを買ってもらい、AMの深夜番組(電リクだとかヤンリクだとか)とFMの音楽番組(FM大阪で夕方6時からやってたアルバム一枚丸々かける番組と渋谷陽一の番組)を聞くようになった。親には「そんなガチャガチャ音楽のどこがええねん!」なんてわけわからんこといわれながら、「あんたらこそ、そんな演歌みたいなんの何がええねん」と反発したりして。


で、英語の歌ばかりを聴いていると、何を言ってるのかがやはり気になる。そこで出会ったのが、ロックはメッセージという考え方だ。これは『ロッキン・オン』の主張である。ビートルズが素晴らしいのは、メッセージと一体化した曲を連発したからだと。そしてビートルズ解散と同じ頃に次々と登場したロックグループにはメッセージ性アリ組となんも考えてない組がある、そんなふうに渋谷陽一岩谷宏(今やリナックス伝動家か?)は喝破していた。


たとえばレッド・ツェッペリンはアリ組で、ディープ・パープルはナシ組。キング・クリムゾンはアリ組で、イエスはナシ組。デビッド・ボウイはアリ組で、アリス・クーパーはナシ組。わかったようなわからないような分け方だけれど、とにかくそんな分類のされ方をしていた。


そういわれると、何となくメッセージアリ組えらい、こっち聞かなきゃマズいなんて具合に純真な中学生は思ってしまうわけで、さらにはメッセージがあるなら、それをちゃんとわかりたいではないかと思うのは当然の流れだ。だから英語だけは一生懸命に勉強した。というか、歌詞カードを見ながら、何を歌っているのかを聞き取ろうと何回も繰り返し聞いた。わからない単語があればせっせと辞書を繰った。


おかげで今でもヒアリングは得意である。子どもに英語耳を作りたかったら、週に一回英会話教室なんかに通わせるよりも、十代前半のうちにどっぷりと英語の曲を聴かせることだ。できれば、まだ発音がわかりやすかった60年代後半から80年代ぐらいまでの曲を選んで、歌詞も見せる。余談ですけれど、これってすっごくいい英語の勉強法になりますから。


とりあえずそうやって英語の歌を聴いていると、どうやら日本的な常識とは違った世界が世の中にはあることがわかる。ロックは反逆の音楽なんて安直ないわれ方をした時代もあったけれど、そんな単純なものではないことは、歌詞をしっかり聞けばわかる。ロックは反逆などではなく、物事をひたすらソリッドにストレートに表現する手段だったのだと思う。その究極の曲がたとえば、ジョンの『ラブ』とか『イマジン』なんじゃないのか。


ともかくロックのメッセージは、自分のものの見方を揺さぶった。そして十代でのこの脳への揺さぶりは、その後の人格形成に決定的な影響を与えた。


その結果、当たり前すぎるぐらいに当たり前のことではあるけれども『自分のことは自分で考え、自分で決めるのだ』という結論を持つようになり、時経て今に至っている。ただし、残念ながら『自分の考えが至らないケースも多々あり、それによって一般常識的に不利を蒙ることもあるのだ』ということにまでは頭が回らなかったのだけれど。ま、それはそれである。


そんなこんなを経て今の自分がいるわけで、それは肯定するしかないと思っている。というぐらいに音楽は人の人生に影響を与えることがあると思うのだが、しかし。最近の音楽でそこまでの力を持つものがあるのだろうか。あるいはオッチャンが知らんだけなんだろうか。どうなんだろう。




昨日のI/O

In:
『国家の自縛/佐藤優
Out:

昨日の稽古:

昨日のBGM

sinfonia/kaori muraji
Wingspan/Paul Mcartney
Greatest Hits/Mott the Hoople

黄金の軌跡(モット・ザ・フープル物語)

黄金の軌跡(モット・ザ・フープル物語)