空手のための読書・パート4


すみません。長々と続けてしまって。


さて、指導書、理論書が充実してきたのは、ここ数年だと思う。いっちゃ悪いが、10年、20年前のそうした書物と比べれば、最近のものは内容の充実度が違ってきている。背景にあるのは全体的な格闘技ブームなのだろう。格闘技に関心を持ったり、自ら学んだりする人が増えた。その中には表現力に長けた人もある確率でいるわけで、そうした人たちが学んだことをいろんなメディアで発表するようになった。


また、もう一つには古武術への関心が高まっていることもある。どちらかといえば免許皆伝とか秘伝は一子相伝などといわれ神秘のベールに包まれがちだった古武術を、理論的に解き明かすような人物がぽつぽつとではあるが出てきた。空手についても昨日紹介した檜垣氏に限らず、琉球空手の本質を解説するような書物が出てきている。もちろん未だに玉石混淆状態は続いていて、中にはひどい(内容面でも、また文章面でも)のもあるが、玉も確実に増えている。


たとえば宇城憲治氏の本がある。沖縄古伝空手心道流の師範である。宇城師の考え方は、実にオーソドックスである。すなわち世阿弥の解いた守破離の考え方が受け継がれている。型を学ぶのは守にあたる。先人が練り上げてくれた空手のエッセンスを徹底的に真似る。真似て自分のモノにする。基本稽古も含めてまずはそこからだ。


さらに宇城師は武術空手とスポーツ空手の違いを指摘する。たとえば引き手の問題。

スポーツ的解釈にたつと、たとえば「左手で受けたら、すかさず右手で攻撃する」という考えが一般的です。そして、攻撃した手はすばやく引く。つまり「受けは受け、攻撃は攻撃」という形を取っているのです。これは武道的解釈ともっとも相反する考えです。
(「武道の原点」宇城憲治、合気ニュース、2001年、20ページ)


これが何を意味するかといえば、本来の空手は受けがそのまま攻撃になっているということ。あるいは攻撃が受けにもつながっているということらしい。だから突いた手は引かないのだと。これはいまの自分にはちょっとよくわからない話だ。ただ、受けが攻撃になっているというのは、昨日の『隠されていた空手』にも書かれている。たとえば平安初段の前へ出ながらの上段受けは、実は受けではなく攻め(交差法)であるとか、あるいは同じく平安初段の最後に出てくる両手での手刀受けも、単なる受けではなく攻めが隠されているとか。


よくわからないのではあるが、そんなふうに説いてもらうと、俄然興味が深まるではないか。


また武道を科学的に研究する人も出て来ている。たとえば『武道の科学/高橋華王』(講談社ブルーバックス)。これは古武術などで秘技とされる技を物理的、心理的に解き明かしている。秘技のすべてが力学的に解明されるわけではないが、原則は物理である。スピードとパワー、質量×速度などの基本原理から始まり、崩しとはどういうことなのかをていねいに解き明かしている。これを読んだからといってそのまま出来るわけではないけれど、これまた塾長の教えを理解する助けにはなった。


少し話が逸れるが、塾長の話はたとえば相手を崩す時には、まず心理的に相手の力を使うことを考えなさいとか、テコの原理を応用しなさいといった内容が含まれていることが多い。たとえば相手を押したいのなら、まずは引けと。手を掴んで引っ張られたら、普通は引っ張られまいと踏ん張り逆向きの力を入れるでしょう。その力に便乗して押せば相手は簡単に押せるというわけです。逆もまた同じで、相手を引きずり込みたいのならまずは押せと。これは人間心理というか、反射的な動きをいかに巧みに取り込むかという例ですね。


と、まだもう少し続く予定。とりあえず今日から空手の合宿なので、明日はお休み。


昨日のI/O

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昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋、腕立て
・ノーマル腹筋、拳立て

武道の原点

武道の原点

武道の科学―時代を超えた「強さ」の秘密 (ブルーバックス)

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