マスコミの終わりの始まり


6478 票vs205939 票


亀田・ランダエタ戦に対するYahoo!投票でのファンの判定結果である。これが何を意味するのか。端的にいえば、マスコミの崩壊ではないのだろうか。一昨日のエントリーでは亀田陣営のマーケティングプランがダメだったのではないかと書いた。加えて今回の一件が象徴しているのは、マスコミ、すなわち第四の権力がその力を失いつつある事実だと思う。


その意味でTBS陣営は、もう一つ読みを誤ったのだろう。つまり少々怪しげな判定をしてもテレビで放送してしまえばこちらのもの、それが既成事実になる。おそらく、そんな奢りがあったのだ。こうした意識を反映しているのが「過去にも鬼塚が・・・」といったコメントだ。確かにこれまでにも興行サイドの主導による怪しい判定でチャンピオンになった人物はいたかもしれない。そのときにもたくさんの人がおかしいと思っただろう。しかし当時は表立っておかしいと意見表明する手段がなかった。だからみんなが「まあ、そんなもんか」と納得した。


しかし、当時と今では社会の基盤が異なっている。ここをTBSは決定的に読み誤っている。それが如実に現れているのが、このYahoo!の投票結果であり、あるいは亀田戦について書かれた無数のブログだ。今やマスコミが「黒いものを白い」と丸め込もうとしても、そんなことはできない世の中になりつつある。TBSがどうあがこうとも、圧倒的多数の意見は「亀田の負け」なのだ。


これはマスコミにとっては恐るべきパラダイムシフトではないか。


マスメディアのいっていることは正しい。これまでは大多数の人が、そのように考えてきた。正確にいうなら考えていたといえるほど自覚的だったのではなく、何となくそう思いこまされてきたと表現すべきだろう。何か変だなと思っても、それを世の中に向かって表明する術を個人が持たなかったのだから仕方がない。世間一般にリーチ可能なメディアは、マスコミしか持っていなかったのだ。


しかし、今や誰もが広く世の中に対してもの申すことができる。


数年前に東芝クレーマー事件が起こったとき、マスコミはインターネットが変えつつある社会構造のことをあれこれと報道してくれた。たった一人の人間のクレームが、日本の超一流企業から謝罪を引き出す。インターネットがもたらした新しいメカニズムのことを事細かに報じていたのが、当のマスコミである。


しかし彼らはあくまでも、報じるのは自分たちであり、自分たちの報道こそが正しいという意識から抜け出すことができなかった。まさかこの新しいメカニズムが、自分たちの存在基盤さえ揺るがすことになるなどとは夢にも思わなかったのではないか。未だに「マスコミ報道を受ける側にいる大多数の人間はいつまでも、マスコミで報道されることこそ真実と受けとるに違いない」などとナイーブにも思っているのかもしれない。そんなことはあり得ないのに。


マスコミは平気で嘘を言う。あるいは百歩譲って、マスコミもポジショントークをする。そんなことは当たり前じゃないかと考える人がどんどん増えている。


なぜなら。政治家だって嘘を言う。社会保険庁(政府機関ですよ)だってごまかしをする。大企業だって自社に都合の悪いデータは平気でもみ消したりする。教育委員会だって、悪いことをした先生をかばって名前を隠したりする。そんな世の中なのである。マスコミがいっていることがすべて正しいなんて、もはや誰も信じてはいない。


にも関わらずTBSは傲慢にも「オレたちが放送したことが真実になる」などと考えていたのだろう。もちろん、だからといってネット上に書かれたことのすべてが真実だなどというわけではない。誰かがいうように「便所の落書き」的なものだってたくさんある。しかしそれが「便所の落書き」だとしても、たくさんの人に伝えることのできるメディアが、今の世の中には存在する。


この革命的な変化を、マスコミはわかっていない。あるいは、認めたくないのかもしれない。しかし、マスコミが認めようが認めまいが、革命は確実に進行している。それだけは確実である。



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