がんばれは、ダメ!


小学生7割、中学生5割


これは、自分で自分のことを好きだと思う子どもの割合(『週刊ダイヤモンド』8月12・19合併号)。エッと思うぐらいに少ない(と思いませんか)。正確には好きだと思っていない=嫌いというわけでもないはずで、おそらくはまともにそんなことを考えたことのない子の方が多数派だとは思う。


にしても、やはり少し気になる。


なぜ、自分のことを好きだと思わないのか。週刊ダイヤモンド誌の記事ではその原因を「中学入試や高校入試などの受験競争に幼い頃から放り込まれている子どもは、日常的に強いストレスを感じているからだろう」と分析している。確かに塾などに通わせると、テストの成績など子どもながらに一喜一憂するようになる。親の期待をそれなりに感じたり、あるいは自分の能力を人と比べて評価されることのプレッシャーも受けているのだろう。


テストを受ければ、当然悪い点数を取ってくることもある。そうしたときの声のかけ方が実は、子どもに大きな影響を与える。よく使われるのが「まあ、頑張れや」といったフレーズだ。この言葉に込められている意味は、たいていの場合「今よりこれからが大切なんだから、次は頑張ろうね」ぐらいのことだろう。頑張ろうという言葉に基本的に叱責の意味は込められてはいない。


しかし、子どもの側からすれば、状況によっては「お前はダメだな」といった意味に聞こえることもある。これが言葉の恐いところだ。


つまり、子どもとすれば精一杯やっているつもりなのに「一体、これ以上、何をどう頑張れというのか」とか「もう、無理」といった反応につながる恐れがある。だから何気なく「頑張れ」といってしまわずに(簡単な言葉だからつい使ってしまいがちになるけれど)、もっとていねいに子どもと向き合ってあげた方がいい。


具体的にいえば「今回は、こことここをこれだけがんばったね」と、まず誉めることが一番だろう。これはコーチングでもいわれていることだけれど、まずは相手をきちんと認めてあげることからコミュニケーションは成立する。注意したいのは、結果ではなくプロセスに注目してあげることだ。


子どもだってバカじゃない。ましてや自分のことを好きか・嫌いかなどと考えるぐらいの歳になってくると、大人がいい加減なことをいっているとすぐに見抜いてくる。単純に「よく頑張ったね」なんていわれても、ちっともうれしくないし、「私のことなんか、ちっとも見てないくせに」と内心では反発したりもする。


だから、子どもが何をどうやってきたのかをきちんと見てあげて、そこを評価してあげることが大切なのだ。当然、面倒くさいし時間もかかる。まして昼間は仕事をしている父親からすれば、子どもが何をどうやっているかなんて見てやりたくても方法がない、かもしれない。


それでも何とか工夫したい。土日にたとえ10分でも15分でもいいから時間を作って子どもと話してみる。一回こっきりでは何もわからなくても、継続的にテーマを決めて話を聞きだしてやれば、子どもなりに何をどう考えているのか、考えがどう変わっているのかなどがわかってくるだろう。


それが糸口になる。


糸口ができれば、話はできる。たいていの人は、自分の話を親身に聴いてくれる相手を拒絶したりはしないものだ。子どもとコミュニケーションがうまくいかないのは、子どもが勝手に「どうせ話したって、ちゃんと聴いてもらえないんだから」と思っているからだ。あるいは「何か言っても、その倍ぐらい言い返されるんだから」と煙たがっているからだ。


親の目から見れば、当たり前のことだけれど子どもは未熟である。言いたいことは山ほどある。でも、そこをぐっと押さえて、まずは聴いてあげる。聴く姿勢に徹する。これで親子関係はたぶん変わる。


そして、少しずつでいいから親も自分のことを話してあげる。子どもが聞きたいのは、お父さん、お母さんが自分ぐらいの歳の時に何を思い、どんなことをしていたか。自分の話をきちんと聴いてくれる相手なら、その人のことを知りたいと思う。そうなるように人間は基本的にプログラムされているのだ。これがコミュニケーションである。


だからコミュニケーションを成立させるためには、どうしても時間が必要なのだ。忙しく毎日を過ごしている中で、どこにそんな時間があるのかというなかれ。子どもをきちんと育てることは、やはり人として一番大切な役割なのだから、何とかしてそれぐらいの時間はひねくりだしたいものだ(って、何か偉そうなことを言ってしまった。スミマセン)。




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