話すように書く

 

今日で414回目


一回あたりがだいたい1600字ぐらい。原稿用紙に換算すれば4枚。だからこれまでに書いた量は原稿用紙1600枚。このブログのことだけれど、わりとせっせと書いてきた方ではないか。


以前にも書いたけれど仕事柄、インターネットに接したのは早い方だった。インターネットをやる前はパソコン通信だった。ニフティサーブである。そもそもはクライアントとデータ(といってもテキストデータオンリーでしたけれど)のやり取りをするのに、これは便利と使い始め、その後にフォーラムの存在を知った。このフォーラムでネットを使ってテキストで議論するおもしろさを知り、結構な衝撃を受けた。基本的には書くことが好きな人間であるとはいえ、書くことで意見を闘わせるというか、議論を積み重ねて行くというか。こうした行為は初体験であり、相当にわくわくした。


このわくわく体験は、ネット上のメーリングリスト『知恵市場』でさらにヒートアップする。知恵市場なるメーリングリストは、画期的に刺激的だった。月に2回、ディスカッションテーマが決められ、そのテーマに基づいてみんながよってたかってテキストで議論して行く。まさにWeb2.0の先駆け的集合知である。といってもみんなが好き勝手に自分の意見を述べるのではなく(それではたいていの場合、収拾がつかなくなってしまうから)、ネットDJなる交通整理役が議論をまとめ、うまくリードして行くのだ。このシステムがすごいでしょう。


だから掲示板や2ちゃんのように場が荒れることがない。また、ネットDJの力量が相当にすごかった。最初の頃のDJは、ビジネススクールグロービス』でクリティカルシンキングマーケティングなどの講師を務めていた人たちであり、やがて彼らの授業を受けた人たちの中から(たぶん)優秀な人たちへとシフトして行った。だから議論を導くがっちりとしたバックボーンが共通していたわけだ。


すると知恵市場流のルールのようなものが自然にできてくる。何となくではあるけれども、そのルールを理解し、それに則って発言して行くのがとてもおもしろかった。当時はメールを一本書くのに何時間もかけて、何回も校正してなんて作業をしていたものだ。しかも当時はまだ電話回線でネットにつないでいた時代である。通信料のことを考えれば、明け方がもっとも有利なので、夜中の3時頃に起き出してはせっせとメールを書いていた。


だから、ネットで発言することのおもしろさ(それはすなわち不特定多数の人に向かって自分の意見を表明し、それに対していろんなレスポンスがかえってくること)は、ある程度わかっていたのだ。それなら自分のホームページを作って、そこで日記を書いても良かったのだろうけれど、なぜかホームページを持つことはためらいがあった。まあ、面倒くさそうってのが最大の理由だったのだけれど。


そこでブログである。


これなら、簡単そうと思いつつ、でも一度ブログを始めたら、きっちり書かなければという強迫観念もあり、なかなか手を出せなかったのだが。知り合いが書いていたりしたこともあって、遂にブログを始めたのが昨年の5月のこと。やってみるとこの『はてな』で自分のブログを設置するのに要した時間は、たぶん20分もかかっていない。それから書き始めて今に至るわけだ。


最初は毎日書くのに、かなり苦労した。まずネタを考えておかなきゃならない。明日は何を書こうかと前の日にテーマを考えるのだけれど、そう簡単には見つからない。だから切り口をいくつか設定し、スタイルをだいたい統一するようにしてみた。スタイルを決めると、書きやすくなるのだ。だから最初に数字を持ってきて、その数字の背景を説明して、そこから読み取れることをダラダラ書いていく。そんなスタイルでやってきている。


かなり長い間は、一応結論らしきものを設定し、そこに落ちて行くような流れも考えながら書いてきたのだが、ここ2〜3ヶ月で少し書き方が変わってきたように思う。今でも一応流れを意識しながら書いているのだけれど、書いているうちに次の言葉が出てくるみたいな感じである。書き出す前にキーワードだけを抜き出した簡単な構成メモを作っているのにも関わらず、書き終わってみる「へっ? 最初考えてたことと全然違うじゃん!」なんて結果に終わることが多い。


もちろん、これも例の如く内田樹先生の影響を受けている。

私たちがものを書くのは、「もうわかっていること」を出力するためではなく、「まだ知らないこと」を知るためです。自分が次にどんなことばを書くのか、それがここまで書いたセンテンスとどうつながるかが「わからない」ときのあのめまいに似た感覚を求めて、私たちはことばを手探りしているのです。
内田樹『態度が悪くてすみません』角川書店、2006年、9ページ)


この感覚を知りたくて書き続けてきて、いまだ『めまいに似た感覚』を得ることはできないし、もちろんそうやって書いた文章のクォリティが内田先生と比べるのも恐れ多いレベルでしかないのはわかっているのだけれど、この『書いていて、次に自分が何を書くのか』がわからないおもしろさだけは、少し感じることができるようになってきた。


これはもしかすると、話すように書くことの極意ではないか、などとも思ったりする。だってほら、人としゃべっていると思いもよらないことを自分が口にしたりしてびっくりすることがあるでしょう。あの感覚ですよね、きっと。だからブログを書くっておもしろい、んじゃないでしょうか。





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