理想のメガネとは


メガネ歴35年


小学校5年生以来、ずっとメガネをかけている。メガネ男子はもてるらしいが、メガネオヤジはちっとも相手にされない。といってメガネ男子だった頃も、もてた記憶はない。なので、もう30年ほど生まれるのが遅かったら、もてた、とも思わない。


というわけで目が悪くて得をしたことはこれまでの人生において一度もない。もし日本に徴兵制度なんかがあったら、もしかしたらド近眼のゆえ兵役には適さず、ぐらいのラッキーは得られたかもしれない。まあしかし、そんなことは本質的には幸運でもなんでもないのでおいておくとして。


一方、この35年の間に、身の回りのさまざまなモノは画期的な進化を遂げた。たとえばテレビは、白黒・ガチャガチャチャンネル・ボッコリ型だったのが、今や超高密度描写・リモコン・壁掛け薄型である。あるいは電話などは「ジーコジーコダイヤル・重くて黒くてぶっさいく」だったのが、「プッシュボタン・超薄型・携帯・メールができてネットも使えてテレビだって見れちゃう」なんてことになっている。電化製品は長足の進歩を遂げ、その使い勝手たるや以前とは別物といってよい。


進化したのは何も電化製品だけにとどまらない。自動車しかり、住まいしかり。衣食住で考えてみれば、そのいずれの分野においても、この35年で暮らしやすさは一変したといえるのではないだろうか。


しかるにメガネにおいてをや!


一向に変わっとらんではないか。まず形というかスタイルというか、根本的な形状が旧態依然のままである。もっとかけ心地の良い、すなわちかけていることを感じさせないようなフォルムは考えられないものか。しかもメガネは必ず曇る。雨の季節、夏場、そして冬も。暑さ寒さに弱く、湿度にもからっきしだ。


たとえば夏、冷房のガンガンに効いたクルマからかんかん照りの駐車場に降り立つ。当然、メガネはぐわぁ〜っと曇り、一瞬何も見えなくなる。その瞬間を狙って、暴漢に襲われでもしたら一体どう責任を取ってくれるのか。


また、メガネはズッてくる。主に当方の鼻の高さ、形などに問題があることは百も承知、致し方ないこととはいえ、汗をかいたときなどずり落ちてくるメガネは不快以外の何ものでもない。メガネがずれれば、すなわちレンズとの最適な焦点関係も狂ってくるわけであり、ものの見え方もいささか変わってくるだろう。そのズッた瞬間を悪い奴に狙われたら・・・。


被害妄想が過ぎるといわれれば、それまでなのだが、なんとかならないものか。だからといってコンタクトレンズはダメである。空手をやるために仕方なく使いはじめ、それなりの利便性は認めるにしても、やはりヤダ。いや、可能性としては24時間ずっとつけっぱなしで使えて、洗う必要もなくて、つけたりとったりしなくていいコンタクト、なんてものが開発されればそれでもいいのだけれど。いまのコンタクトレンズはあまりにも面倒である。


あるいはレーシックなどの手術によって近眼を直すやり方もある。が、この先20年ぐらいなら何とか生きられようことを思えば、不安がある。なぜなら、ああいった手術についてはまだ、20年ぐらいのスパンでの臨床データがない。ということはその間に目に何が起こるかわからないということだ。味がわからなくなる、耳が聞こえなくなる、鼻が効かなくなる、指などの感覚がなくなる、目が見えなくなる。と考えていくと、およそ五感のうちでも目だけは見えていてほしい。だから完全に安全性が担保されない限りはうかつに手術はできない。


となると、やはり選択肢としてはメガネに頼らざるを得ない。


誰か、画期的なメガネを開発してはくれないだろうか。理想のメガネに求める条件は、次の3点である。


1)かけていることを忘れ去せる軽さ
2)温度差に強く、曇らず、汚れないレンズ
3)少々鼻が低くとも、あるいは激しく動いてもズレないフィット感


たとえるなら、モロボシ・ダンウルトラセブンに変身する時に使う『ウルトラアイ』のようなメガネ。どこかのメガネメーカーが作ってくれれば、必ずや買うのだが。


昨日のI/O

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『ストレスフリーの仕事術/デビッド・アレン』
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