教師には武道を


前年対比6.7%増


公立小学校での校内暴力は、三年連続で過去最多を更新しているという(日本経済新聞9月14日)。昨日の朝のテレビで暴力を受けている教師が取材に応じていた。彼のセリフによれば「黒板に書いていると、ハサミが飛んでくることもある。だから同僚には板書をしない先生もいる」という。ウソみたいな本当の話らしい。


あるいは同日付けの毎日新聞には、別の教師が止めに入るまで子どもに数十発も蹴りを入れられた女性教師の話も載っていた。一体、これは何なのだろうか。


小学生の子どもが「キレる」原因は、さまざまに考えられる。まず一番に大きいのは家庭でのしつけだろう。三男を義務教育に通わせていないことを誇らしげに公言する亀田氏のような存在が、一部のマスコミではもてはやされたりする。そうしたマスコミ報道が許され受け入れられる空気感があること、それ自体が一部で家庭でのしつけが崩壊しつつある証なんだと思う。


とはいえ、それだけがすべてだとも思えない。相対的に教師の地位が低下していることも大きな理由だろう。その背景には、本来なら「正しい」はずの大人、それも公務員や政治家、あるいは大企業のトップなど「正しさ」の象徴的存在だった人たちのでたらめな行動を子どもたちが見ていることも大きな要因だ。


しかも最近では、誤りや間違い、あるいは罪を指摘されても居直る大人が増えている。日々のニュースは、そんな話で溢れかえっている。こうした情報から子どもたちが何らかの影響を受けているのは間違いないのではないか。


さらにはもしかしたら突発的に「キレる」子どもは、脳に何らかの障害を抱えている可能性もある。戦後、少なくとも50年以上にわたって日本人が摂取してきたいろんな食品に形を変えた化学物質の蓄積効果が出始めているのかもしれない。脳のメカニズムには、まだまだわからないところがたくさんある。たとえば電車の中で平気でモノを食べたり、化粧をしたり、あるいは床に座り込んだりする若者たちには、明らかな脳の機能障害が見受けられるという説が医学界でも認められてきているようだ。


キレる子どもは、おそらく複合的な要因で生まれているのだ。だから子どもが「キレ」ないようにする努力を放棄しろ、というのではまったくない。その努力は続けなければならない。その上で「キレる」子どもがいることを前提として、教師は対応するべきだし、学校の制度も親に対する対応も変えていく時期に来ているのだと思う。


もちろん、だからといって単純に体罰復活などといいたいわけではない。体罰の効能そのものは否定しない。自分自身が小学校の頃には、先生に体罰を受けた。それらは今になって思えば、先生の愛情からのものだったことがわかるし、ありがたいとも思っている。とはいえ、実際問題としていま、学校で体罰を復活させることは難しいだろう。


かたやアメリカでは最近、教育の現場で『ゼロ・トーレランス』体制がとられている。これは寛容ゼロを意味し、具体的には子どもたちが何かの違反をすれば、それに対して容赦なく罰則を与えるシステムである。違反を許さない制度を学校に持ち込むことで、子どもたちに対するある種の権威を創りだすことが狙いなのだろう。


ただし、この制度をそのまま日本に持ち込むのは無理だと思う。そこまでのシビアな態度はたぶん、私たち日本人の感覚にはなじまない。では、どうすればいいのか。少なくとも小学校での校内暴力はこの4年間、増え続けている。このままでは教師がまずモチベーションダウン、モラルダウンに陥ってしまう。あるいは小学校教師のなり手がいなくなることさえ考えられる。


そこで提案。教師には、あるいは教育課程では武道を必修にすることはできないだろうか。仮に大学の4年間で何か一つの武道を学べば、それなりの心得と体さばきぐらいは身に付けられるだろう。といっても、その武道を教育の現場でキレる子どもに使え、という話ではない。


そうした技を身につけていることが、子どもたちに接する時の態度に出ると思うのだ。いざとなったら、少なくとも相手を抑えることができる。この自信は、子どもに接する時の態度にさまざまな形でにじみ出るはずだ。それは必ず子どもにも伝わると思う。


この人には敵わない。そう感じざるを得ない相手に出会うことで、キレる子どもも変わっていく可能性がある。教育課程には武道を。それほど非現実的なアイデアではないと思うのだけれど、どうだろうか。




昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター・軽運動室

・基本稽古
・ミット稽古
  回し蹴り・前蹴りを速く
  レバー撃ちを正確に、強く


昨日のBGM