中田の体作りの秘訣は


3ヶ月vs20日


骨折した時に、どれぐらいの期間で復帰できるかという話。ジーコがいうには、ブラジルの選手が3週間ぐらいで戻ってくるケガでも、日本選手なら3ヶ月ぐらい経たないと復帰してこなかったそうだ(日経ビジネス9月18日号)。


なぜ、そんなにも違いが出るのか。ジーコが退任の時にいってたフィジカルの強化とは、このことを指している。つまりブラジルでは子ども(13歳ぐらい)のときから、フィジカル強化を始めるのだ。ジーコ自身が本格的なトレーニングと食事療法を始めたのが14歳のときから。日本のように20歳近くになってからいくら鍛えても遅い、というのがジーコの結論である。だからジーコのいうフィジカル強化とは、代表選手を対象としてではなく(そんなのすでに手遅れだから)ジュニアからといった話なのだ。


ワールドカップをふりかえってみれば、見ていて感じたのはやはり日本選手のひ弱さだ。たしかに中澤あたりはそれなりのガタイをしてはいるが、やはり芯が違うように思えた。そしてこれまたよくいわれることだけれど、そういう意味では決して大柄ではないにせよ、中田には強靭さがあった。


その中田がフィジカルの重要性に気づいたのが16ぐらいの頃。ナイジェリアの選手と対戦して、その身体能力の違いに圧倒されたからだという(日本経済新聞9月13日)。それから彼は、自分の体を合理的(というか知的にというか)かつ徹底的に鍛え上げていく。


中田のトレーニング方法の特長は、目的意識の明確さにある。その基本的な考え方は次のようになる。

例えば、敏しょう性を養う練習ではフルに俊敏に動かなければ何も身に付かない。身に付かなければ、その時間は無駄にしたのと同じ
日本経済新聞9月13日「NAKATAルネッサンス」)


この短いコメントからは、まずはその練習の目的を明確に意識することの大切さ、そして何が何でも目的を達成しようとする意志の強さがうかがえる。これである。そこまでの意識、意志をもって練習しても、簡単に目的を達成できるわけではない。やはり時間がかかるのだ。


ひるがえって空手である。一つの技を極めるには、毎日その技を稽古し続けて千日、その技の真髄に到達するには万日かかると。千日で三年、これが万日となると三十年かかることになる。ということは基本中の基本である正拳中段突き一つとってみても、その真髄に至ることのできる人間がどれぐらいいることか。


だから「自分には無理だよなあ、あと三十年もかかったら、そもそも生きてないし」と思うのか、それとも「一生懸命に稽古すれば、死ぬまで少しずつでも進歩できるんや。空手って奥が深いなあ」と喜ぶか。もちろん後者でありたいと思う。


そう思って取り組むと、本当に正拳中段突きも奥が深い。空手の稽古は初心者、中級者、上級者を問わず基本稽古は同じ。正拳中段突きから始まっている。その理由が最近、少しだけわかってきた。同じ突きに見えても、自分のレベルによって課題が変わるのだ。たとえばある本によると突きを当てる瞬間に、拳をどれだけ返すかで衝撃の伝わり方が違うとある。これなどは何となくではあるけれど納得できる話だ。


ここから先は勝手な推測に過ぎないけれども、おそらく相手の体のどこを狙うかによって本来なら拳のひねり方が違うのではないのだろうか。拳のひねり方が違うということは、同じ正拳中段突きだとしても、体の使い方は微妙に変わってくるのではないだろうか。


などと考えながら稽古するのはおもしろいし、そもそもなぜ基本稽古は三戦立ちでやるのか。三戦立ちに秘められた意味は何なのか。左足前の三戦立ちはなぜやらないのか、などなど疑問だらけである。疑問があるということは、答を知りたいということであり、興味は尽きないのだ。


昨日のI/O

In:
日経ビジネス
『街場の現代思想内田樹
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昨日の稽古: