ミュンヘンオリンピックプロジェクト


2920日


かつての日本男子バレーチームが、オリンプックで金メダルを取るためにかけたプロジェクトの日数である。昨日のテレビでやっていた。つまり東京オリンピックで銅メダルをとった時点から丸八年かけて、男子バレーチームは計画的に金メダルを狙い、予定通りに取ったのだと。


その8年間をリードしたのが松平監督である。番組の最後で監督のいった言葉が印象に残っている。

常識の延長線上には、いくらがんばっても常識しかない。世界で勝つためには、人が絶対にやらないこと、つまり非常識なことに挑戦しなければならない。


いま、誉めてもらおうと思うな。自分が死んだ後、あるいは百年後でいいじゃないか。それぐらいに思っていれば、近視眼的なものの見方に陥ることはなく、本質を見誤ることもないのではないか。


録画をとっていたわけではないので、あくまでもうろ覚えに過ぎないが、こんな内容の発言だった。


さて、こうした考え方を持つリーダーに率いられた日本チームは何をしたか。たとえばフライングレシーブをマスターするために、コーチがふりまわすボールを空中を飛んでよける練習をしたり、マットの上でバク転を連続でやったりした。体操の選手のように小柄でいかにも敏捷な体型とはほど遠いごっつい大男たちがである。まさに非常識への挑戦だ。


さらにはいくつもの秘密兵器を編み出し、オリンピックでも最後の最後までそれを明かさなかった。これらの秘密兵器はいずれも、それまでのバレーの常識からかけ離れたものだった。それを「ここぞ」というときに使われたのだから、相手は対処のしようがない。


そして、すごいなと思ったのが、ミュンヘンをアウェーではなくホームタウンにしようと考えた作戦である。メキシコオリンピックが終わってから日本は、西ドイツ(当時)に対して二つの作戦を展開した。


一つは西ドイツバレーチームの監督に、松平氏の弟子を送り込んだこと。もう一つは男子バレーチームが頻繁に西ドイツを訪れて、親善試合を繰り返したことである。


当時の西ドイツは男子バレーの後進国である。そこで世界トップ3に入る日本がオリンピック開催国を全面的にバックアップする。これでドイツの人からの日本男子バレーへの好感度を高める。さらにはバレーチーム自体もドイツへの遠征を繰り返すことで、地元にファンを作っていく。これによってたとえるならミュンヘンを第二のホームにしようという壮大な作戦である。


いうまでもなくホームとアウェーでは選手の精神状態が大きく変わってくる。たかがそれぐらいのことでというなかれ。極限状態で戦いに挑むときには、気持ちの持ち方一つで人間は発揮できる力がまったく変わってくるのだ。人が感情の生き物である所以だろう。


そして日本の狙い通り、決勝戦の日に体育館では「ヤーパン」コールがわき起こった。圧倒的ともいえる声援を受けた日本男子チームは、決勝戦で快勝する。まさに8年間、ただひたすらにオリンピックで金メダルを取ることだけを考えて行動し続け、結果的に見事に目的を達成する。


もちろん松平氏のブレーンが優秀だったのだとは思うが、それでも一人の優れたリーダーのリーダーシップがあってはじめて達成できた成果だろう。常識的な努力をいくら重ねても、結果は常識の範疇でしか得られない。非常識なまでの成功を収めたければ、やはり非常識なことに果敢にチャレンジしていくしかない。名言だと思う。


昨日のI/O

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Relation84号・原稿

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