壊れない体を創るためには


六歳六ヶ月


一流を目指して芸事を始めるなら、これぐらいからが鉄則。日本の伝統芸能では、ほんの子どもの頃からの修練を大切にしてきた。まったくの勝手な推測でしかないが、おそらくは武士の子も6歳ぐらいから基本的な武芸を仕込まれてきたのではないだろうか。


なぜ、そんな幼い頃から修業を始めるのか。その理由は恐らく、悪いクセをつけないためである。武術も芸能もことに日本に限っては世阿弥のいう『守破離』の考え方が当てはまる。


すなわち何かを学ぶにあたっては、まずは徹底的に師の教えを真似ることから始める。まさに学ぶは真似ぶの世界である。何百年にも渡って修正を加え練り込まれた上で、連綿と守り続けられてきた基本の型を体に徹底的に叩き込む。そのとき土台となる体には、一切不要な色がついていないほうがいい。まっさら、真っ白の状態でしかも、ある程度師の言葉を理解できる年頃、それが六歳六ヶ月の意味だったのだろう。


これまた又聞きでしかないが、明治になる前の沖縄では子どもは普通に唐手を習ったという。わざわざ唐手などとたいそうにいうのではなく、単に「手(ティー)」と呼ばれたその技の覚え方は、たぶん本土の芸事や武芸と同じだったのではないか。


おそらくはそれぐらいの年齢から学んでも、子どもの体の発達に何の悪影響も与えないように鍛錬方法もきちんと研究されていたのだろう。何しろ当時の目的は子ども同士の争いで勝つことではなく、健全で強い体を持ち、いずれは守から破やさらには離にまでいたる人間を養成することに絞り込まれていたはずだから。


なぜ、そんなことを今さらながらに考えるかといえば、やはり自分が歳を取ったからである。残念ながら六歳六ヶ月の頃は虚弱児であったが、中学でクラブ活動を始めて以来、人並みには体を鍛えることを覚えた。中学入学時には一回もできなかった腕立て伏せや腹筋も、平均より少し多いぐらいにはこなせるまでになった。


大学時代には暇に任せて体を鍛え、いつしか体を動かす気持ちよさになじむようになり、社会人となってからも時間が比較的自由になる仕事を選んだおかげで一週間に2回ぐらいは走ったりもしてきた。だから年寄りの冷や水などといわれながら四十すぎで空手を始めても、体力だけはそこそこ自信があったのだ。


それが45を過ぎて以来、愕然とするばかりの衰えようである。では、自分と同い年ぐらいの武術家はいないのか。たくさんいらっしゃる。彼らは体のどこかを悪くされているか。そんなはずない。


その違いは一体、何によるものか。


根本的な体の鍛え方、技の修め方にあるような気がする。私の場合、いくら体を少し鍛えてきたとはいっても、すべてまったくの自己流である。一応、本を読んで研究してはいるものの、正しい体の動かし方はやはり、きちんとした動きをマスターしている人に、それこそ手取り足取りで教わらないと本来はダメなのだ。何がダメかといえば、自己流でやると必ず自分に楽な方、動きやすい方に流れてしまうことがダメなのだ。これがクセである。


さらには技の修め方なども、やはり未熟なのだと思う。いみじくも大山倍達が何度も言ったように「空手の命は組み手にあり。組み手の命は基本にあり」である。基本をきちんとマスターできていないから、やはり体の使い方にどこか歪みや偏りが出てしまうのだろう。歪み、偏りは無理に通じる。その無理を重ねると、それが歳を取って弱くなったり脆くなったところに出てしまう。


46年かけて歪めてきた体を、まっすぐに戻すのは並大抵のことではないかもしれない。しかし、そこから始めないと、ちょっと体に負荷をかけただけで、すぐにどこかが故障する可能性が高い。今後、歳をとっていけばその可能性は高まる一方だ。


ここは急がば回れである。それに、だからといってすごく面倒くさいことをやるわけでもない。まずは何をやるにしても左右均等、上下均等、表裏均等を意識することからだ。背筋をきちっと伸ばして、姿勢を正してと。当たり前のようにいわれていることを、当たり前のようにできること。


それが体を健やかに保ちながら、空手に上達する道なのだと思う。そして可能性を秘めた子どもに対しては、やはり当たり前のことをきちんとできるようにしてあげることが何より大切なのだ。



昨日のI/O

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