教師は病んでいないか


病気休職者数6308人、うち精神性疾患によるもの3559人


昨年12月に発表された公立小中高校などの先生の状況である。休職者のうち半分以上が精神性疾患となっている(週刊新潮10月26日号)。折しも九州では、生徒をいじめるとんでもない教師の存在が明らかになった。しかも、いじめをやる教師は表には出てこないだけで実は相当数いるといった指摘もある。


週刊新潮の記事によれば

今、教職員の間では「のむ、うつ、かう」が流行っているのだそうです。「のむ」は、酒でも飲まなければやっていられないほどのきつい状況があること。「うつ」は賭博でありません。鬱病のうつです。最後の「かう」はもちろん女性と遊ぶ意味ではなくて、宝くじを買って1等の3億円なり2億円なりが当たったら、学校を辞めてやる、教師辞めてやる、そういう意味なのです。
(『週刊新潮』10月26日号、56ページ)


どうにも学校の先生は、精神的に相当きつい状況に追い込まれているようだ。その労働環境をとってみても、いかに劣悪かがわかる。いまどき、主たる職場に冷暖房が備わっていないなんて場所は学校ぐらいのものだろう。さすがに職員室はエアコンがあるが、教室にはないところがほとんどではないか。


また職員室にしても、決して快適な環境とはいえないんじゃないだろうか。少なくとも私が知っている数校の職員室は、暗い、汚い、気分悪いのバリバリ3Kである。パソコンだって一人一台なんてのには、ほど遠い状況だ。なかには電卓がないのか、携帯電話で計算している先生を見たこともある。


もちろん環境が悪いから、いい加減なことをしていいなんてことではない。教職は人間を育てる仕事である。どんな環境であったとしても、全力でがんばってほしいと思う。しかし環境については物理的だけでなく心理的にも、先生が置かれている状況は劣悪なのではないだろうか。


教師は聖職という考え方がある。これが実はいま学校で起こっている問題を引き起こす原因の一つだと思う。つまり聖職だから間違いがあってはならない。いじめなどとんでもない話だ。仮にイジメがあったら、その教師も管理者も失格である、といった無言のプレッシャーが学校にあったとしたらどうなるか。


イジメが現実にあったとしても、それは『あってはならないこと』として葬り去られるだろう。今回の九州の件も、北海道の件も、管理サイドがイジメを認めない、あるいはイジメを隠そうとした背景には、こうした暗黙の論理があったからだろう。


先生だって人間なんだから間違うこともあるし、迷うこともある、感情的になることだってあるだろう。これを認めることが原点ではないか。そうしたことを認めた上で、それでも子どもを育てるというとても大切な仕事をしているのだと考えれば、失敗を隠したり、ましてや嘘をついたりすることはないだろう。


そして一度失敗したからといって、すぐに教師失格だとか降格だとかいうのもまったくおかしな話だ。失敗したからこそ、次は同じ失敗を繰り返さないようになる。これこそが学習効果である。だから、失敗したことのある先生ほど貴重な存在ではないか(厳密に言うなら、失敗から学ぼうとする姿勢のある先生という限定条件がつくけれども)。


ところが公務員という制度では、一度の失敗がその後の公務員生活を決定的に支配してしまうような仕組になっている。だから、失敗を極度に恐れる。行き着く先は誰かがやってこと、前例のあることしかやらない事なかれ主義であり、最悪の場合は失敗を何としても隠蔽しようとする秘密主義である。


こうしたいまの学校を支配している環境を根底から変えない限り、公立学校の改革はできないのかもしれない。(あれ? もしかしたら、こういうことを日教組は元々言っていたんじゃなかったっけ?)



昨日のI/O

In:
神姫バス・インタビュー
Out:


昨日の稽古:富雄中学校体育館

・マット運動
・基本稽古
・約束組み手(回し蹴り/前蹴りの受け、蹴りだけの組み手)
・自由組み手