ロックは何が違うのか


特集はフリーとゴング


っていわれても、たいていはさっぱりだろう。これだけで何のことかわかった人は、かなりマニアじゃないんだろうか。40代後半以降でも、わかる人はどれぐらいいることか。


とは思うのだが、これでも一応は月刊誌の特集である。特集を組むということは、採算が取れると踏んでのことであるはず。しかも、この月刊誌『ストレンジ・デイズ』はすでに第87号、創刊以来7年も続いている。こうしたテーマでもそこそこには採算が成り立っているのだろう。バックナンバーをみると、どうやら75年ぐらいまでのシーンを熱心に取り上げているようだ。そのあたりのロックが好きな読者が、今でも一定数はいるのだ。


実はこのあたりが私にとっての懐メロ(懐メロックですね、正確にいえば)である。懐メロといえばオヤジの話であり、それは一昔前なら、つまり自分の父親にとってはバタヤンとか東海林太郎の世界だった。それがいつの間にか自分にとっても懐メロ(ック)的なるカテゴリーができていて、それがフリーやゴング、キングクリムゾンにイエスにレッドツェップにパープルだというわけだ(本当はもっともっとあるけれども)。


これらのバンドの全盛期は70年代、ということは今から30年以上前になる。私の父親が40代の頃に懐メロとして聞いていたのが、やはり昭和20年代の歌だった。ということは、だいたい青年時代に聞いていた音楽を30年ぐらい後になって、いいなあと思うことができるなら、それがその人にとっての懐メロということになるのだろう。


なるほど。それなら今の10代の若者にとっては、KAT-TUNSMAP、幸田來未あたりが、彼らが50前になった時の懐メロになるのかもしれない(ほんとにそうなるかどうかはかなり?だけれど)。


青年期に聞いた音楽が人生にどこまで決定的な影響を与えるか、その程度はもちろん人によって違う。だから一概にはいえないのだが、自分の場合はローティーン時代にロックと出会ったことが、その後のものの考え方にかなりな影響を与えた。そのロックの影響で何より重要なのは、親や先生のいうことだけが正しいことではないのかもしれない、という気づきを与えてくれたことだろう。


ウチの親は揃って公務員であり、極めて真っ当な人たちであった。常識的といえば限りなくそうであり、いわゆるまとも。もちろんいつも子どものことをきちんと考えてくれてもいたし、訳の分からないことをいわれた記憶もまったくない。子ども時代の自分から見れば、お父ちゃん、お母ちゃんのいうことは全面的に正しいと信じるに足る存在だった。


ところが私がロックを聴くようになってから、親子関係に微妙な齟齬が生じた。ビートルズを初めて聞いたとき、素直に「ヘェーッ、スゲ! カッコいい」と思った。ところが親はこれを称して「ガチャガチャ音楽」とのたまった。最初にしてその後二度と埋まることのなかった決定的な相違である。


これをもって親の言うことが間違っているとまでは思わなかったが、自分の感覚の中には親とは確実に違うセンサーがあることに気づいてしまったのだ。ビートルズのカッコよさは親にはわからない(のかもしれない)。でも、自分にとっては「ビートルズがカッコいい」という感覚を疑う余地がない。


親にもわからないことがある、しかし自分にはそれがはっきりとわかる。親がどういおうとビートルズはカッコいい。親に逆らってそう思うのではなく、自分の中に、誰が何といおうと自分を信じることができる、ピュアでソリッドな感覚が生まれていたのだ。これは発見であった。


そんな気づきを与えてくれたのが、自分にとってのロックである。もちろん、いまでも聞いている。そしてあえてカテゴリー分けをするなら懐メロックではあるけれども、決して懐かしいと思って聞いているわけではない。相変わらず「カッコいいなあ」と思って聞いている。そんな音楽に出会えたこと、これはとてもラッキーなことだったと思う。


ちなみにここ1ヶ月ほどは『GODBLUFF』Van Der Graff Generatorにはまっている。やっぱり30年ぐらい前のアルバムなんだけれど、ボーカルがとてもいいです。よろしければ。
http://www.youtube.com/watch?v=6pR-f6t4L7Y



昨日のI/O

In:
Out:
メルマガ
ドコモ・神姫バスインタビュー
神戸商工会議所会頭インタビューメモ

昨日の稽古:

・懸垂