なぜ素直にあやまれないの?


IPの世界は何が起きるか分からない。人知を超える範囲だ。
不完全なサービスを提供している訳ではない。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=econ&NWID=2006102701000530


NTT西日本IP電話が大規模な通話障害を連日起こしている。それに対するNTT西日本社長のコメントがこれ。もちろん、お客様への釈明会見のなかの言葉だから、最初に謝ってはいるのだとは思う。よく使われる「このたびは誠に〜、うんぬんかんぬん」って決まり文句ですね。


それだけでやめとけばいいものを、余計ないいわけをするから、その開き直りとも思える言葉がクローズアップされてしまう。いわなくてもいいことをあえて口に出してしまう理由はたぶん、本当にそう思っているからだ。要するに「私たちは悪くない」と。


さらに上記の記事によれば

NTT西は約83万3000件のすべての契約先に対し、電話がつながりにくかった3日間の基本料金を徴収せず、その金額は計約6000万円になるという。契約者へのおわび文書の郵送なども約1億3000万円をかけて実施

するらしい。


このお金のかけ方、ちょっとおかしいと思いませんか。いかにもNTTというか旧・電電『公社』のやりそうなことではあるのだけれど、でも変。きちんと「文書」でおわびさえすれば、それでチャンチャンといった意識が裏にあるように思えてならない。じゃなきゃおわび文書の郵送代の方によりお金をかけるなんてあり得ないんじゃないのか。


このあたりの感覚に社長さんの謝罪会見の言葉と共通するものを感じる。


要するに私たちはちゃんとやっている。だから、それ以上のことを要求されても困る(元々、公務員みたいなもんだったんだから)。決められたこと、(上から)いわれたことをやるのが仕事なんですよ。おわび文書だって、きちんと出すんだから。それでまだなんか文句あるの?


そんな意識がありありとみえるのは気のせいか。


ここに何が欠けているかというと、自分たちは一体『誰に、どんな価値を提供して、その対価を得ているのか』を考える視点だ。この視点がないから「オレはちゃんと(いわれたこと、これまで続けられてきたこと)をやっている。何が悪いのか」となってしまう。


いや、だから、そうじゃなくて。


いわれたことをやるのは、あるいはこれまで続けられてきたことをやるのは、何のためなのかを考えてみよう。その元をただせば、それは誰かに、何らかの価値を提供するための行動だったはずだ。ところがいつの間にか『誰かに、何かの価値を提供する』視点がすっぽりと抜け落ちてしまい『決められた行動』をすること自体が目的化してしまう。


やっている本人たちは『決められた行動』をきちんとやっていさえすれば、それでいいと満足してしまう。ところがある時点、状況の中では『誰かに、何らかの価値を提供』できた行動が、いつまでも同じような価値を提供し続けられるとは限らない。せっせと『決められた行動』をマニュアル通りに守っていても、それは『誰にも』『何の価値も』も提供できない行動になっているリスクだってある。


これを公務員病、あるいは大企業病という。組織が大きく古くなると冒されやすい病である。


この病気にやられている人が、すごく増えているように思う。自分がそもそも生きているのは何のためか。個人レベルでも、誰かに、何かの価値を提供して、その対価を得られるからこそ生きていられるんじゃないのか。自分一人では、自分が生きていくために必要な対価を得ることはできない。だから、誰かに価値を提供することは、生きることそのものといってもいい。たとえそのプロセスで言葉が交わされることはなくとも、それがコミュニケーションである。


こうしたことをきちんとわかっていないと、自分が相手に『求められているだけの価値』を提供できていないことに気づかない。自分が悪いことをしていると思わないから、謝ることもできない。


悪いことをしたな、相手に迷惑をかけたなって思ったら、まずは素直にあやまらなきゃ。そして何が悪かったのだろう、相手はどこに不満を持ったのだろうと、そこを理解しないと。自分がちゃんとやっていたかどうかはあと、まずは相手である。


あやまったら負け。自分の非は認めちゃダメだ。なんてのは、やはり変だ。悪いことしたなって思ったら、素直にあやまる。そこからである、コミュニケーションが始まるのは。




昨日のI/O

In:
のだめカンタービレ』:これは久々にはまりそうなマンガではないか!
Out:

昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・基本稽古
・ミット稽古
  回転しての後ろ蹴り
  相手の出足を止める前蹴り  
・約束組み手
  顔面への牽制あり
  掴みあり
  タックルをかわす
・関節技