もしエレベーターがなかったら


11月10日は何の日か?


エレベーターの日、らしい(日本経済新聞11月6日)。1890年11月10日、日本初の電動式エレベーターが東京・浅草に完成したという。


エレベーターの起源をたどればギリシア時代にまで行き着く。発明者は、かのアルキメデスである。彼が発明した荷物用の昇降装置が、その始めとされる。そして動力を使った昇降機が産業革命以降に登場する。これが都市の姿を一変させた。


1889年、電動式エレベーターがニューヨークで設置される。これがビルの高層化に拍車をかけた。いわばエレベーターこそが摩天楼の生みの親だ。もし、エレベーターがなかったら、都市の姿はどうなっていたか。これはなかなかおもしろい思考実験となる。


人間が階段を歩いて上がるしか方法がないとなれば、ビルの高さはせいぜい5階が限界だろう。つまり東京も大阪も5階建て以上のビルはないことになる。上に伸びることで多くの人を集めることができた都市は、高さに制限があるとなれば横に広がらざるを得ない。


たとえば霞ヶ関ビル(たしか日本最初の超高層ビルだったはず)なども、同じだけの容量を持つためには、相当に平べったい建家となる。現在のビルが総容積にして50万立方メートルで高さ147メートルの36階建て。ということは単純計算するとして、5階建てなら高さは約20メートルぐらいだろうから、その面積はいまの7倍ぐらいの25000平方メートルになる。これだとだいたい160メートル四方の正方形だ。


こんなベタなビル(といえないぐらいのものだろうけれど)が、ペタペタある東京というのも、なかなか愛嬌があっていいかもしれない。もちろん世界中にエレベーターがないのだから、ニューヨークもぺったんこの街である。9.11の悲劇の部隊となったワールドトレードセンターだって、超低層ビルでしかない。そんな低いビルに飛行機が突っ込むのは至難の業のはずで、もしかしたあの悲劇も起こらずにすんだ可能性がある。


そもそも都市に、今ほど人が集まって仕事をしたり、暮らしたりすることもなかっただろうから、もしかしたら、それはそれで相当に平和な社会だったのではないだろうか。今の世の中のギスギスした雰囲気は、あまりにも密集して人が暮らしていることが原因の一つだろう。生理的な防衛圏内を常に侵犯されている状況に置かれると人は、周囲に極度に無関心になるか、あるいは攻撃的になることによって自己防衛を図る(と、どこかで聞いたことがある)。


いまの東京などはまさにそう。ニューヨークもロンドンもパリもみんなそうだ。大都市の人口密度がもっと低ければ、人々はもっと平和に暮らせたのではないか。また地方が今ほど寂れることもなかったのではないか。などとと考えるに、もしかしたらエレベーターこそは人間にとって禁断の果実だったのかもしれない。



昨日のI/O

In:
ライフハックプレス』
Out:
メルマガ

昨日の稽古:富雄中学校体育館

・マット運動
・基本稽古
・約束組み手(蹴り・突きの受け)
・組み手(受けに徹して12セット)