能を学べば空手が強くなる?


上虚下実。最大全力。


さらにはすり足、サシ込に打込。いずれも能の用語である。武士がその嗜みとして能を学んでいたことは以前のエントリーで書いた通りだけれど(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20061003/1159834760)、実は武士にとっての能は嗜みどころではなく武道のトレーニングそのものだったようだ。


たとえば「サシ込」といって、前へすり足で進みながら手を上げる動作がある。ポイントは足の動きと手の動きを連動させること。その目的は大腰筋を起点とする力を、前鋸筋に伝え、肩甲骨を引き出すように前鋸筋を引っ張ることにある。この動きができるようになると腕がふだんより前へ伸びて出て行く(らしい)。


これは、空手の突きではないか。


能の動きといえば、極めてゆったりしたものである。だから、一見しただけではそれほど運動量があるとは思えない。しかし、シテの心拍数は180ぐらいにもなる。なぜか。


その動きが日常とはまったくかけ離れたものだからだ。

室町時代に完成された能は、江戸時代には武士のための正式な芸能となり、すべての武士はその心身の鍛錬のために能を学ぶことを義務づけられました。約650年も前から伝えられてきた能は、実はやっと近年になって注目された深層筋、それを活性化させるのに非常に適した動きを内在する芸能で、それによって体の芯である体軸をしっかり確立させます。だからこそ能を嗜みとした武士たちは、重い日本刀を振り回す過酷な武をもできたのではないかと思われます。
(『能に学ぶ深層筋トレーニング』安田登、ベースボールマガジン社、2006、13ページ)


しかも、じっくりゆっくりと練るように体を動かすことは、実は好き勝手に反動を付けて運動するよりもはるかに体に効く。たとえば空手の技なら回し蹴りだ。これを壁に手をついて体を支えながらでもいいから、ゆっくりやってみればわかる。


膝を斜めに上げ、そこから足をたたんだまま膝を先頭に回し、体の真ん中まで持ってきて膝から下を伸ばす。ブルース・リーが映画でやっていた鍛錬法と同じ。そんなの簡単、ではない。とんでもない。よほど足の力、体軸の力(これが大腰筋だろう)を鍛えていない限り、中段をぶれずに蹴ることさえ難しい。ましてやブルース・リーのように上段を蹴って、そこで止めるなんて動きはほとんど人間離れしている。


能の動きは、そのすべてがことごとく日常の動作とは異なっている。日常の体の動かし方が、その人にとってもっとも慣れ親しんだ動きだとすれば、能はあえて非日常的な体の使い方を強いる。これが鍛錬になるのだろう。


古の武士にとって究極の非日常の場とは、命を賭ける戦いの場である。そこでいかに自然に振る舞えるか。自分の持てる力を出し切ることができるか。そのためには、意識的に非日常的な動きを自分の体に覚え込ませておくことが必要だった。


さらには、深層筋をそうした動きで鍛えることには、思いもよらない別の効果も期待できるという。

心も深層筋の運動によって舞う舞によってコントロールできるのでしょうか。私たちは目の前に怖いものがくると逃げようとします。怖いから逃げる、これは心が体をコントールするという考えです。確かにそんなふうにプログラムされているように感じます。が、この考えは間違っていて、実は「逃げる」から「恐怖が生じる」のだという説もあります。
(前掲書、22ページ)


これは、もしかして塾長が言っておられる「心が武器になる」と対になる言葉ではないのだろうか。心を武器にするためには、正しい体の使い方を覚えよと塾長はいわれる。自らの体をコントロールする術を深層筋を通じて体に覚え込ませることができていれば、いざというときにも恐怖は生じない。そこまで体を練り上げてはじめて心が武器になるのだと。塾長の言葉の真意はこのように受けとめることもできる(全然、勘違いな考えかもしれないけれど)。


またまた武の道の奥の深さに触れたような気がする。




昨日のI/O

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『能に学ぶ深層筋トレーニング/安田登』
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