小泉元首相の深謀


ブッシュ大統領
胡主席
プーチン大統領
廬大統領


昨日たった一日のうちに、安倍首相はこの四人の首脳と相次いで会談した。毎日新聞に掲載された写真を見る限り、プーチンさんこそ笑顔が見えないものの、ほかの三人は揃ってとても友好的な表情をしている。特に胡主席の笑顔などは印象的だ。


小泉首相の頃には考えられなかった構図ではないか。とはいえたった二ヶ月ほどの間に日本は何か劇的に変わったのかといえば、決してそんなことはない。


安倍首相は靖国問題についても「行かない」とはひと言もいっていない。もちろん小泉さんのように「行く」とも言っていないわけだけれど。この間には北朝鮮が核実験という暴挙に出た。これまでの諸国関係を大きく揺さぶる大事件であり、核実験をキッカケに新たな動きが起こったのは事実だろう。


しかし安倍首相が中国を訪問したのは、実験の前である。この訪問については、むしろ中国の方が積極的だったと伝えられている。なぜ、中国は安倍首相との会談を求めたのか。小泉首相の術策にハマったからではないのか。


といった具合に小泉首相の深謀を読みとるのはうがちすぎだろうか。


個人的には小泉首相は、少なくとも戦後の首相の中では傑出した戦略家だったと思う。以前の首相とは決定的に違うポイントが一つあったと感じる。それは、物事を考えるスパンの長さだ。


彼のキャッチフレーズともなった「改革」は、国家百年の計をにらんだ国策の転換を意味している。足元の成果ももちろん改革を進めるためには欠かせないが、何より大きいのは小泉さんの指導力によって日本が「改革」へ向けてはっきりと舵を切ったことではないのか。


このところ知事の逮捕が相次いでいる。連続する知事逮捕に何らかの国家的な思惑があるのかどうかはしらない。ただ、これも「改革」の流れに乗った出来事と見れば理解できないことはない。談合がもたらす非効率的なシステムの破壊である。それは経済合理性を一貫して追求してきた小泉手法と一致する。


国家経済の繁栄をめざした政治家はこれまでにもたくさんいた。古くは所得倍増計画の池田首相であり、日本列島改造論田中首相もそうだ。しかし、こうした過去の人たちと小泉首相が違うのは、日本国の問題点を明確に見据えていたことと目先の成果を求めなかったことではないか。


もちろん竹中氏が主導した経済改革は劇的な成果を上げた。崩壊寸前だった日本の金融システムは、とりあえず完全復活した。企業業績も上向いている。バブル崩壊後の日本経済沈没論が支配していたころとは、大きく趣が違ってきている。潮目が変わったのだと思う。


弊害も確かに起こってはいる。格差が広がり、政府財政も実質上破綻したままだ。しかし、小泉改革がスタートしていなければどうだっただろうか。たとえば実質上の政府破綻は、もはや隠す術さえ持たず、日本国債はすでに保っていなかったのではないか。


誰が見ても、あるいは特に海外から見れば、日本のシステムが救いようのない非効率的なものだったのは明らかだ。それは、なし崩しの死へと向かうしかないシステムである。もとより今でも状況が劇的に改善されたわけではない。しかし、ちっぽけではあるけれども希望の光が灯った。火をつけたのは小泉首相だ。


小泉さんは本気で「変えるぞ」と宣言し、そのための手を打ってきた。その先に彼が見ていたのは、百年先の日本だと思う。その小泉首相の集大成ともいえる動きが政権最末期の外交だったのだ。小泉首相の最後の動きは、次の安倍さんを動きやすくするためのお膳立てだったと読める。


小泉首相が示したのは、とりあえず韓国とも中国とも一切妥協しない日本の姿である。日本でも、それぐらいのことはやるし、またやれるのだといった姿勢を明示しておく。ともすれば弱腰と見られがちだった日本の対外姿勢が、これも「改革」に向かっていくことを小泉首相は強くアピールしたかったのではないか。


そして自分が強硬な態度に出れば出るほど、後任者は相手(つなわち中国・韓国ですね)から譲歩を引き出しやすいことも計算に入れていた。中国、韓国にとっては小泉さんほどやりにくい相手はなかっただろう。であれば、次の安倍首相とはなんとか友好的な関係を持ちたいと考えるはずだ、ぐらいの読みを持っていたのではないだろうか。


といったように小泉首相は稀代の戦略家だったのではないかと思うのだけれど、違うかな。


昨日のI/O

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山本博氏インタビュー・マインドマップ

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・懸垂