テキストを読む快楽

ざらざら

ざらざら


風の吹くまま旅をしよう、と和史(かずふみ)が言ったのだ。


川上弘美の短編集『ざらざら』は、こんな書き出しで始まる。最初の短編は「ラジオの夏」。たぶん二十代後半のカップルが、真夏、何という理由もなく奈良へと旅に出る。


訪れた奈良はひたすら暑く、鹿のニオイのする町でしかない。ただライトアップされた大仏さんの顔が、とても印象的だった。と、そんな他愛もない話が10ページほど書き連ねられている。


何か事件があるわけじゃない。人生の機微にふれるような言葉が散りばめられているわけでもない。本当に、どこにでもありそうな、普通のカップルのありきたりな会話。文体に一つだけ特徴があるとすれば、その会話をうまく地の文に混ぜ込んでいることぐらいだろうか。


特に風景描写がうまいとも思わない。もちろん、下手じゃないし、自分と比べれば(って比べるのも失礼な話だけれど)、百万倍はうまい。けれども村上春樹のように巧みに比喩を使った文章というわけでもない。


でも、これが小説なんだと思う。


そんな、さらっとした文章が、一人の女性の心のひだを的確にすくいとっている。だからテキストを読むことに、そのために時間を費やすことに限りない心地よさを感じる。


日本語って、こんなにも人の心の動きや、その息づかいまでも表現できる言葉なんだってことを再確認させてくれる。言葉を紡ぐ仕事って、とても素敵じゃないかって思わせてくれる。


たぶん、この短編集の中のいくつかは、映像化することも無理じゃないだろう。でも、モノローグでも入れない限り、そのシーンが何を伝えたいのか。どんな心情を象徴しているのかはたぶん伝わらないんじゃないだろうか。その見るだけ、聞くだけでは伝わらない部分を埋めているのが、テキストなのだ。


こんな文章を書けるようになりたいなとか、つまんない文章ばっか、書いてんじゃねえよ。って、反省した。



昨日のI/O

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