とりあえず完遂


一分間×10人


空研塾の茶帯審査である。毎年受けようと思い、「今年は受けます」といいはじめて三年目。やっと今年挑戦することができた。一昨年も、昨年も審査を秋に受けようと決めて夏から準備を始めた。その準備がたたって、二年続けて審査前に膝を壊し、受けることができなかった。


そこで今年は特別なことはできるだけやらないようにしようと決めた。普通にというか、稽古の時にできるだけ一生懸命にやって、家でもいつも通りにやっていることをやって、それでダメなら仕方がないではないかと。開き直りでは決してないのだけれど、自分と空手との付き合い方を考えたとき、そんな選択肢もあるかと思った次第だ。


少しカッコよくいうなら、ピークを作るのではなく、ほとんど横ばいに見えていて、それでもほんの少しだけでいいから右肩上がりをめざす作戦とでもいえばいいか。実際には年齢によるいろんな衰えを考え合わせれば、横ばいキープでさえ危ういぐらいのものだが、無理して体を壊して空手を続けられなくなるよりはずっといい。


それに今年は、高齢者(っていうほどのものではないけれど、とりあえず道場生の中では塾長に次ぐ年齢らしい)には、少し配慮もしていただけるとのこと。おまけに一緒に審査を受ける方もいる。チャンス到来とばかりに構えていたら、やはり審査前に体を痛めた。


左足が動かなくなってしまった。が、幸いにも審査まではまだ三週間ある。きっと治る。これは自分の気持ちを試されているのだとか、これこそが予備審査だと思って、できるだけ平静に考えるようにした。ら、本当にそうなった。つい一週間前までは正座ができなかったのに、審査の前日には正座も大丈夫である。


流れは我にあり。


これならと審査に臨む前に塾長から直々にひと言。「茶帯の昇級審査、黒帯の昇段審査をセレモニーにしてはいけない。松村(うちの支部長です)の考えもあるが、自分が見に来る限りは特別扱いはだめ。特に茶帯の審査は、十人組み手である。十人の途中で倒れるようなことがあれば、そこで審査は終了。次の機会を目指してもらうことになる。そうならないためには、とりあえず上段に蹴りをもらわないこと。つまり上段への受けの意識が大切だ。またへばりそうになったら、どちらの手でもいいから前に出せ。それで相手の突進を防ぐことができる。いざとなったら相手に抱きつけ。酸欠になり意識が朦朧としても、日頃から鍛錬をしていれば、体が技で反応できるはず。そこを見させてもらう」と。


れれ! ちょっとばかりお話が違うような?? 


でも、ここまできたらやるしかない。あわてても仕方がないし、この期に及んでこれまで稽古して来たこと(ひたすら受けに専念し、カウンターを狙える時だけ出す)、考えて来たことを変えても仕方がない。腹を括る。


そして始まった十人組み手。


幸いにも相手に黒帯の先輩は一人だけ。あとは他流派の茶帯の方が一人で、ほかの八人は緑帯以下の人ばかりだ(もっとも他流派で黒帯だったなんて人も混ざってはいるけれど)。これが心理的には非常に楽になった。


実際には自分より若い人が一分間、勢いに任せてかかってくるのを受けるのは、かなり閉口するというか大変ではあるのだけれど、やはり攻めの巧妙さが黒帯の先輩とは違うし、急所を狙ってくる正確さも違う。致命傷になるような攻めを受けることに集中していれば、それほどのダメージを受けることもない。


ということで、なんとかかんとか十人耐えることができた。


不思議なことに、これまで二回審査を受けたが、今回の審査のときがいちばん、みんなの応援の声が聞こえた。人の声って力になるなあと思った。そして空手は個人競技ではあるけれども、一人では決してできないんだってことも強く意識した。


何よりもうれしかったのが、いつも一緒に稽古している方が、審査前の稽古に付き合ってくださり、審査の時にはセコンドみたいに付きっきりでサポートもしてくださったこと。いい仲間に恵まれて、そのおかげで空手を続けられているのだし、また審査も完遂できたんだと改めて思った。


まずは塾長に、審査前に気合いをいれていたのが効きました。あれで焦りもしたし、プレッシャーにもなったけれど、でも気持ちをビシッと決めることができた。ありがとうございます。
そして加島さん、審査までの稽古、本番でのサポート、本当にありがとうございました。
そして松村支部長、中西先輩、西田さんほかみなさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


昨日のI/O

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