足りないもの


審査から一週間経った。


この間ずっと考えていた。今の自分には何かが決定的に足りないと。十人組み手は何とかこなしたものの、達成感がないのはなぜか。欠けているものがあるからだ。突き詰めるなら、あの組み手は空手と呼べるのだろうかとも思う。


一撃必殺が空手の真髄だとすれば、先日の十人組み手は空手とはいえないだろう。何しろ一人も倒せなかった。ダメージさえ誰にも与えることができなかった。カウンター狙いでたまに下段や下突きが入っても、相手に効いていないのではなんの意味もない。


相手の攻めをかわし耐えるだけではダメだと思う。相手をしてくれた人を実際に傷つけるほどの攻めを出すかどうかは別問題である。ポイントは、いざとなればそれだけの蹴りなり突きなりを出せる技を持っていることと、いつでもそこまでの攻撃をだす気概をもって組み手に臨んでいるかどうかなのだ。


その意味では残念ながら、まだまだ自分の未熟さを痛感する。


もちろん一撃必殺が、どれだけの高みにあるかは何となくわかっている。顔面や金的をのぞけば、一発で相手を仕留めるのは至難の業だ。が、それを目指さずして何の空手か。武道としても、護身術としても、そこまでの技の極みを目標に置かなければ進歩はないだろう。


恐らくは、本当の一撃必殺の技に筋力はあまり関係ない。だから年齢を言い訳にしてはいけない。まずは気持ちありきであり、さらにはいつも急所を正確に狙う緻密さであり、技の正しさが求められるのだ。


だから身体を正しく使わなければ、正しい技を出せないのも道理。いつでも相手を倒す強い気持ちを持っていなければ、そもそも技に力がこもらないのも当然のこと。そしていうまでもないことだが、それだけのことをいつも意識して稽古していなければ、何も身に付かない。


ということが、よくわかった。審査は気づきの場なのだ。でも本当は、普段の稽古の時にも審査に臨んだ時と同じぐらいの集中力を持って当たらなければならない。逆にいえば、いかに稽古の時に気が抜けているかがまざまざとわかったということでもある。


ほんと、まだまだだなあと思う。と同時に、空手は奥が深いというか先が長いというか、おもしろい。何とかケガせずに一生続けていきたいと強く思う。



昨日のI/O

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昨日の稽古:

・レッシュ式懸垂、腹筋