茶帯空手修業的に


昨夜、茶帯をいただいた。


茶帯である。う〜む、やっとここまで来れたかという想いと、あの審査内容でもらっていいのかという迷いが交錯する。ただ、うちの審査ではいつも次のようにいわれる。すなわち審査の合格はその帯の実力を認めたということではない、その帯にふさわしい稽古をすることを認めるということだ、と。


つまり緑帯の稽古にはそれなりの限界を設定し、そこまでの稽古をできるようになれば、次の段階の稽古へ行くことを認める。ただし、その前に用意された関門を突破しなければならない。その関門突破では緑帯として求められる稽古を、どれだけきちんと積み上げてきたかが問われる。


そんなシステムなんだと思う。だから、とりあえずは緑帯は卒業してよろしいということなのだ。そして自分に茶帯の力がつくのは、黒帯審査を受けていいといわれるようになった時だ。そこを勘違いしないようにしなくてはいけない。


これからは茶帯にふさわしい稽古をしていかなくてはならない。それがどんなものなのかはまだわからないし、これは誰かに手取り足取り教えてもらえるものでもないだろう。


自分で考え、やってみて、反省して、工夫していく。そんな稽古が必要なんだと思う。そして、その稽古はあくまでもこれまでの延長線上にしかない。茶帯だから基本はやらないというのではなく、もっと基本を突き詰める必要がある。正拳突き一つとってみても、また練り方が違ってくる。これからの本質的な課題は身体の使い方、これに尽きるだろう。


身体の使い方についてはたぶん、筋力はほとんど関係ない。だから年齢も関係ない。むしろ筋力に頼らず、いかに本当の意味での自然な身体の動かし方をできるかが問われる。その動きができれば、スムーズで無駄なく、しかも結果的には相手を一撃で倒す力も備わっているはずだ。またケガをすることもないだろう。


そう考えれば次のステップは、相当に高い。だからそこへたどり着けるかどうかを今から心配する必要はないのかもしれない。大切なのは、その高い目標をいつも意識し続けることだ。そして、亀の歩みでいいからミリ単位でも近づくことだ。


なんてことを空手を始める時には、まったく考えもしなかった。その意味では、この六年間で空手への接し方も、考え方も、引いては少し大げさだけれど生き方も大きく変わった。人生後半に、自分の道の指標となるものに出会えたことはとても幸せだと思う。


ということで、これからは茶帯空手修業的でいきます。押忍。



昨日のI/O

In:
藤山直美さんインタビュー
※めっちゃ素敵な女性でした。テレビとは全然違うもんね。
 一目見てどっきり、お話ししてうっとり、みたいな。
Out:

昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・レッシュ式懸垂
・ミット稽古(スイッチしての突きと蹴り)
・約束組み手(受け返し、返しからの崩し)
・自由組み手(掴みなし・掴みあり)