脳が喜ぶとき


ひらめき脳 (新潮新書)

ひらめき脳 (新潮新書)

『ひらめき脳/茂木健一郎』を読んでいる。


立ち読みでいいからぜひ、書店で手に取って見ていただきたいのだが、最初の数ページ(8ページから)に併せて4枚の絵と写真がある。パッと見、何が何だかの絵だ。ところが、これをじっと見ていると、やがて「それが何かわかる」瞬間が来る。


これを脳科学用語で『アハ体験』と呼ぶらしい。そして、このアハ体験とは、つまりひらめきのことであり、ひらめきを得た瞬間、脳は喜ぶのだそうだ。


実は昨日、この本を買って読み始めたはいいが、一枚目の絵がそもそも何だかわらかなかった。4枚の中ではこれがいちばんわかりやすいらしくて、5分間で正解した人の割合が70%だという。と聞けば、何としてもそれ以内でわかってやろうと意気込むではないか。


ところが。これがわからない。わからないから先へと読み進むことができない。西大寺から近鉄特急に乗って、絵とにらめっこである。ただじっとにらんでいても何も見えてこないので(というか、これって昔のオカルト映画で見た悪魔の像じゃないのかとずっと思ってた)、絵を横にしたり、ひっくり返したり、手元に寄せたり、うんと遠ざけてみたり。


ためつすがめつすること約20分、宇治川を渡る手前あたりでようやく「! わかった」。お、おれは平均以下かと一瞬思ったが、それより何より「わかった」快感が大きい。ひらめくと脳は喜ぶのである。そしてこのひらめきに伴う快が、およそあらゆる創造の源という。

実は歴史上の偉大な発明や発見を行った人物、例えばニュートンアルキメデスも同じような「アハ!体験」をしているはずなのです。
(『ひらめき脳』茂木健一郎新潮新書、2006年、14p)


ということは、どんどんひらめくような環境を作ればいいわけだな、と思って読み進む。と、脳が閃くためには、いろんな条件があることがわかる。まずリラックスできる環境にないと脳はひらめかない。じゃあといってベッドの中でゴロゴロしていればひらめくかといえば、絶対にそんなこともない。


脳がリラックスできる環境とは、余計な心配をしなくてもいい状況のことである。そうやってほかのことを考えずに済むとき、脳は特定のテーマに対してフル回転する。これを茂木氏は「脳がちりちりする感じ」と表現している。イメージとしては脳が超高速フル回転していて、摩擦熱が発生してちぃとばかり焦げているような状況だろうか。


それぐらい一つのテーマについて必死に考えることが、ひらめきを呼ぶための準備段階として絶対に必要なのだ。そして考えるということは、基本的に疑問を持つことである。なんでだろ、とか、どうやって、とか。対象は何でも構わないのだと思う。ただ、常に疑問を持つことが大切なんだろう、きっと。


たとえばニュートンは、上の方にあるリンゴは木から落ちてくるのに、距離は遠いとはいえ同じように頭の上の方にある月はなぜ、落ちてこないのか、という疑問を持った。いわれてみれば、そうですよね。じゃあ、なんで流れ星は落ちてくるんだとか、あれは一体どこに落ちているんだとか。そもそも宇宙空間で落ちるってどういうことだ・・・。と次々と疑問はわいてくる。


もちろん高校で物理や地学をきちんと学んだ人なら簡単に答えてくれるのだろうけれど(一応、高校時代に物理、化学、生物、地学と全科目2まで授業を聴いた記憶はあるけれど)、自分的にはちんぷんかんぷんである。しかし、そういうことを一生懸命に考えていると、しかも脳がそれに集中できる状況を作ってあげると、脳はひらめくのだ。


ただしである。たとえば流星がなぜ、どこに落ちていくのかといった問いに対してひらめくためには、当然の話ではあるが物理学や宇宙学の知識を持っていることが前提条件となる。予備知識が何もない(脳の中でシナプスがつながっていない)ことに対しては、そもそも脳はひらめきようがないのである。


だからインプットが大切なのだ。ただしである。インプットはあくまでも能動的にやらなければならない。ぼや〜んとテレビを眺めている(英語でいえばseeですね)だけじゃ質の高いインプットにはならないのだ。何かを見るなら見るで集中してみる(look at)じゃないと。


だから、脳をひらめきで喜ばせたいなら、せっせとインプットして、脳がリラックスして集中して(ちょっと矛盾表現だけれど)考えられる環境を整えて、ひたすら考える。これに尽きるというわけです。


ということはわかった。でも、未だに最初の4枚の絵の中の一枚がさっぱりわからない。何じゃこりゃ、一体!



昨日のI/O

In:
『ひらめき脳/茂木健一郎
Out:
某社コーポレートストーリー
某社ミーティング用ヒアリングシート


昨日の稽古: