地価が街の景色を変える


信号が変わるたびに、一斉に自転車の波が動く


上海や北京でよく見かける風景である。が、昨夜は中国にいたわけではない。昨夜訪れていたのは京都のど真ん中、烏丸通りだ。烏丸通りには東西に横切る細い通りがいくつもある。「丸竹夷に押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条」といえば、京都の通りの名前を表す歌だけれど、こうした通りが自転車に占拠されている。


どんな人が乗っているのかとみれば、これがまあ若い人が多い。いわゆる学生風、あるいは勤め人風がほとんど。だが、なかには親子連れもいる、小学生ぐらいの子どもも混ざる。時にチャリンコ暴走族風に突っ走ってくる人もいる。「オット、危ない!」とヒヤリとさせられることもあるぐらいだ。


京都には以前住んでいたことがあるし、またいろんな用事でよく出かける。が、街中の交通事情がこれほど変わっていることには気づかなかった。さすがに人通りの多い河原町界隈となると、自転車では走りにくいのだろう、あまり自転車を見かけない。しかし烏丸では様相が一変している。


一体京都の街に何が起こったのか。京都市が「もっと自転車に乗りましょう」運動でも始めたのだろうか。


不思議に思いつつ、今朝もう一度街中を歩いてみて、その理由がわかった。街の様相が一変しているのだ。柳馬場仏光寺から室町三条あたりまでのいわゆる路地を歩いてみると、以前にはなかったものがあちらこちらにできている。ワンルームマンションとコインパーキングだ。しかも新たなマンション建築現場もいくつかある。


これは以前なら考えられなかった風景だ。電柱にワンルームマンションの案内が貼ってある。それをみると1DKで家賃が5万ぐらい。それで採算が取れる構造になっているのだろう。あるいはコインパーキングでも税金対策になるということか。要するにそれぐらいにまで地価が下がったわけだ。


京都の街中といえば以前は室町に代表される呉服問屋街だった。ところが和服を装う習慣はとうに廃れてしまい、業界全体が右肩下がり。そこにトドメを刺したのがバブル崩壊である。すでに十年以上前から室町あたりでも店を閉めた呉服問屋のあとがマンションに建て変わってきた。が、当時はファミリー向けマンションがメインだった。これが3000万円台ぐらいで、この価格でも一昔前から考えれば想像できないぐらい安いわけだったが、いまはそれよりももっと土地の仕入れ価格が下がっているのだろう。


その結果、今や賃貸ワンルームマンションやコインパーキングでも十分に割が合う。そして、そこに暮らす人たちにとっては自転車が絶好の交通手段というわけだ。


こうやって若い人が中心部にたくさん暮らす状況は、街の活性化という意味ではとてもよいことではないだろうか。そうした人たちを対象としたちょっとシャレたレストランやお店がたくさんできている。こうしたお店もおそらくはテナント料が下がっているから、若者向けの価格設定(でも、ちょい高めぐらい)で商売が成り立つ。


ビルのテナント料もおそらくは同じように下がっているはずで、するとベンチャー企業などが街中に集まってくる。こうした職場に勤める人たちが職住近接で街中に暮らし、それがさらなる商業集積につながっていく。これはもしかしたら、地価が下がったことによる京都市の自然発生的な再活性化につながっていくのかもしれない。


ただ一つ。市には自転車対策をとってもらえないものか。といっても間違っても自転車通行を規制せよなどといういうわけではない。狭い路地が交差する街中は自転車こそがベストな交通手段である。ということを前提にした上で、駐輪場を整備し、あるいは歩道ではなく車道側に自転車走行スペースを設けるとか、さらには駐輪スペースを作るとかの対応である。


市営のレンタルサイクルを充実させ、乗り捨て自由なシステムができるとより使い勝手はよくなる。で、街中は公共交通機関以外は自動車乗り入れ禁止にしてしまう。これぐらい思い切った策をとれば、京都の街は日本の中でもかなり革新的な街作りの実践例となると思うのだが、いかがだろう。



昨日のI/O

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晏子宮城谷昌光
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