黒帯への道


一人目は、つかみ・引っかけなし
二人目は、つかみ・引っかけあり
三人目は、つかみ・引っかけ・タックル・投げあり
四人目は、スーパーセーフをつけての顔面あり/つかみ・引っかけなし
五人目は、顔面あり・つかみ・引っかけ・タックル・投げあり


これが空研塾の黒帯審査である。相手をする人数こそ茶帯の十人から半分になるとはいえ、一回ごとに組み手の中身が異なってくる。五人目の組み手などはほとんど何でもアリのストリートファイト(でも防具だけはつけて)といった趣だ。さまざまな攻めに対応できるだけの技を備えてはじめて黒帯を締めることが許される。


さらには護身術も求められる。


相手に掴まれた時には逆関節を決める。ナイフを持った相手に対しては、少なくとも一分は対応でき、これも相手を制して逆関節を決めるところまでいかなければならない。まずは、いかに自分の身を完全に守ることができるか。そこが問われる。


そもそも空手を始めた理由は、子どもがライダーキックをやりたかったから。ライダーキックをやるなら空手だろうと、空手を教えているところを探した。ところがたまたま見つけた空手教室では子どもを教えたことがなく「お父さんも一緒にされるのなら、面倒を見てみましょう」という流れでしょうがなくやることになった。


もちろん空手が嫌いだったわけではない。『空手バカ一代』は相当に熱心に読んだし、学生時代には空手の筋トレや基本稽古等が野球にも役立つからと独学で少しやってはいたが、まさか四十にもなって空手を本格的に始めることになるとは思わなかった。


しかも、たまたま巡り会った道場はフルコン派である。ということは、実際にど突いたり蹴ったりするのである。もちろんど突かれると痛い。蹴られても痛い。というか「どうぞ思いっきり蹴ってください」とかいわれてローキックを蹴ったりしようものなら、蹴ったこちらの足が痛いのである。それぐらい先輩たちの足は鍛え上げられており、拳は硬く、足は速く高く飛んでくる。


息子はまだ幼稚園の年中さんで可愛い盛りである。みんなから、可愛がられる。がオヤジの方はそうはいかない。最初の間こそ、ものすごく遠慮してもらっていたけれども、たとえば自分より少しだけ先輩みたいな人たちにとっては、いい相手が入って来たてなもんだ。


組み手をすれば、ど突かれるし蹴られる。最初の間はメガネをして組み手をやり、それじゃああんまり危ないとばかりにメガネは外してやると、ほとんど何も見えない。まともに見えない相手から攻撃を繰り出される恐怖は、壮絶なものであり、今日は稽古やめようかと思ったことが何回もある。


そうこうしているうちに一度、あばらを痛めたことがあった。たぶん少しヒビでも入ったのだろう。そこに突きをもらったり蹴られたりすると、とんでもなく痛い。「こら、あかん。こんなことしてたら、仕事できひんがな」とやめようと思ったこともある。が、息子が大人に交じって一人で頑張っている姿を見て、お父さんが止めるわけにいかないのである。


先輩の茶帯・黒帯審査を見学したときには、そのあまりの凄まじさにドン引きしまくった。組み手とはいえほとんどケンカである。しかも塾長は平気な顔で「潰せ」とかいってる。今にしてみれば、どういう想いを込めて塾長がそんな過酷な言葉を発していたかがわかるものの、初めてみた時にはまじでビビった。「あ、これは自分には関係のない世界。全然関係ないけんね」と思った。


そんな自分が何とかかんとか茶帯にまでたどり着くことができた。その間にはいろんなことがあった。身体を鍛えようとしては、年齢を計算にいれなかったために逆に壊してしまうことが何回かあった。動体視力が衰えて来たこともあって、特に速い蹴りが見えなくなってもきた。そうなると特に大きな人、蹴りの速い人と組み手をやるのは、相当な恐怖となる。


怖いがために稽古を休むこともあった。それでもやっぱり続けようと思った。続けてさえいれば、ほんのコンマ何ミリかもしれないけれども、うまくなるんじゃないかといった思いがあってのこと。それに、何よりやはり空手はおもしろいのだ。


そしてとりあえず茶帯を締めて稽古することを許されるところまできた。となれば、あともう一歩上をめざしたいではないか。そのためにはどんな稽古をすればいいのか。自分にできる稽古は何か。ここをしっかりと考えた上で来年はぜひ、黒帯を目指したいと思う。




昨日のI/O

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昨日の稽古:

・レッシュ式懸垂