やる気とほうび


寺子屋5人、空手20人、勉強会議17人


幼稚園児から20代半ばの方までと一緒にいろんなことを学んでいる。一応、教える側にいるので、もっとも意識するのは相手のモチベーションだ。寺子屋こそ、みんなのモチベーションレベルはそこそこ揃っていると思っているが(大いなる誤解があるかも知れないが)、それ以外については動機もやる気もまったくバラバラというのが本当のところだろう。


親にいうままに訳もよくわからず空手に来ているであろう幼稚園児がいれば、会社の命令により有無をいわさずといった状況でこれまた何だかよくわからない話を聞かされている方々もいらっしゃる。自分からやってみたいと思って空手を習い始めたはいいが、どうも思っていたのとは違うぞと違和感を抱いている子どもだっているだろう。


もちろん、ほんの少しかもしれないが自分が強くなっている実感があり「これはおもしろい」とやる気満々の子どもだっているんじゃないだろうか(いてほしいと思う)。勉強のおもしろさ、わかる・できる喜びを少しとはいえ感じてくれている子だっているはずだ(いてほしい)。ことほど左様に一人ひとり事情は違えど、こちらの思いは誰に対しても変わらない。


とりあえず、一緒に過ごしている時間を少しでも有意義なものにしてほしい。それだけである。そのためには、やっていることを彼ら自らがおもしろく思えなければならない。そこでいろんな工夫を凝らしてはみるのだが、さて。最近、強く思うのがこちらのキャパの問題だ。キャパなのだから個人差があるのは当然のことで、どうも自分にはマンツーマンがベスト、多くても4人ぐらいまでじゃないかとつくづく感じる。


なぜか。ことは簡単で相手の立場からすれば「この人は、私のことを真剣に考えてくれている」と思ったとき、もっともやる気になるからだ。もちろん、そうした関係に至るまでには、いくつものプロセスを経る必要がある。ポイントはきちんとしたコミュニケーションだ。そうコミュニケーションという限りは一方向ではダメなのである。どちらかといえば、いかに上手に相手の投げる球を受け止めてあげるかが問われるのだと思う。


相手の話をきちんと聴き(耳で聞くのではなく心で聴くというわけです)、正面から向き合い、言葉になりにくい心の中の思いまでをすくい出してあげる。簡単にできることじゃないし、時間もかかる。時間をかけてもなかなか理想的な状態には到達しない。ただゴールまでは行きつかなくとも、一緒に行こうとしている姿勢が相手に伝われば、そこから関係は新しいレベルに入る。ここがスタートだ。


といえばわかってもらえるだろうが、これは親子の基本的な関係と同じなのだと思う。親はいつも子どものためをと考えている。一緒に過ごす時間が長いのだから、自然に相手の考えていることも伝わる。この「伝わり感」が子どもにとっては何よりの安心感につながる。たとえ言葉にわざわざ出さなくとも「この人は、私の絶対的な味方だ」と思えるだろう。


だから子どものためを思う親の言葉は伝わる。つまり理想的には疑似親子的関係を構築できればいいわけだ。そこでこちらのキャパというか甲斐性が問われることになるのだろう。


よくモチベーションとインセンティブがセットで語られるが、最高のインセンティブとは自分のことをわかってほしいと思う相手に、きちんとわかってもらえることである。ついでにいえば、自分ががんばったことをきちんと認めてもらい、的確に誉めてもらえるとなおいい。そのとき、おそらく人のモチベーションは最高レベルに達するのだと思う。


そこで気をつけたいのが、安易にモノをインセンティブとして差し出してしまうこと。自分のことを理解し「よくやったね」とねぎらいの意味も込めて与えられるモノなら問題はない。相手にとっては受けとるモノは結果に過ぎないのだから。これとは逆にただのモノ欲しさだけが目的になってしまうと、それは本末転倒になりかねない。バランスの取り方が難しいところだ。



昨日のI/O

In:
『営業マネジャーの実際/山口裕』
Out:
某社取材原稿


昨日の稽古:富雄中学校体育館

・基本稽古
・型稽古(太極一)
・ミット稽古(ローキック/ロー&ハイのコンビネーション)
・組み手稽古