柳沢問題の考え方


女性百人中約80%


産む機械」失言で非難囂々の柳沢大臣が辞任すべきかどうか。テレビが街の女性にインタビューした結果らしい。今朝のフジテレビでやってた、それもインタビュー付きで。


中には「あれだけ謝ってるんだから許してあげてもいいんじゃない」といった声もあったけれど、それ以外は基本的に「許せない」のひと言である。そして「あんなひどいことをいう人が大臣ではダメ。すぐにやめてほしい」と続く。これってミスリードというか、あるいは明後日愛知で行われる県知事選を前にした何らかの意図的な報道ではないかと思えるぐらい一方的な報道ぶりだ。


もとより柳沢発言が問題の発端であることは間違いない。その場にいたわけでもないし、大臣からお話を伺ったわけでもないので、どういう流れであの言葉が出てきたのかも何となくしかわからない。ただテレビが伝えていた前後の文脈などから判断するに、おそらくはポロッとでた言葉なのだろう。だから、あれは失言なのだと思う。しかし失言であるとなると、問題の根っこはさらに深いところまで至らざるを得ない。なぜならあれは大臣の深層心理から出た言葉に違いないからだ。


女性のことを「子供を産む機械」だと思っていない人、あるいは思ったことのない人はふつう、そんな表現を決して思いついたりはしないものだ。ふだんからそんなふうに考えているからこそ、そうした言葉が『つい』出てしまうのだ。それを失言という。柳沢大臣が女性に対してどんな接し方をされているのかは知らないが、女性に対する見方の一部に「機械」的なイメージがあるのは確かだろう。もちろん女性に対してそうした考え方だけをお持ちの方だとも思わないが。


一方では明らかな過剰反応がある。奈良選出の高市早苗議員などは「子供を産めない私はポンコツか!」と怒ってらっしゃるようだ。これはマスコミのあおりがかなり入っているんじゃないか。もちろん可能性として柳沢氏の頭の中に「女性=子ども産みマシーン→子供を産めない女性=壊れた機械」といった図式があったことは否定できないが、少なくともそこまでの発言はない。ひと言もいってない。だから高市氏の反応が事実だとすれば、これは明らかに深読みのし過ぎだと思う。


厚生労働大臣であり少子化対策を考える立場の人であるのだから、女性を機械と見たてるのは確かによくないだろう。野党の女性議員、確か福島議員が代表となっていたようだが、人口減を女性の問題にすり替える視点も現状を分かっていないとは思う。だから、そういった人物が大臣を務めるのはよくない。辞めろ。という流れができるのもわかる。


ただし気になるのは、この流れの中で一点、決定的に欠けている視点があることだ。


つまり、では厚生労働大臣にはどんな資質が求められるのかということをだれも述べないし問題にしていない。あるいはもう少し問題を分解して、大臣に求められる資質、厚生労働省のトップに求められる資質を提示した上で、だから柳沢氏は不適格だという判定を下しているマスコミを寡聞にして知らない。


確かに柳沢氏は失言もしたし、恐らくは女性に対する潜在的な考え方もいささか問題ありの人物である。だが、もしかしたら少子高齢化対策については、画期的なアイデアやビジョンをお持ちかもしれないではないか。あるいは竹中大臣の前に金融構造改革を断固として進めた実績をみれば、少なくとも大臣としてのリーダーシップはあるのではないか。


仮にそのいずれもがまったく否定されるというのであれば、その場合は、そうした人物を大臣に任命した安倍首相の責任こそが問われるべきではないのか。


といった議論が本来あっていいはずだと思うのだけれど、それをテレビに期待するのはやはり無理なんだろうな。そして新聞もテレビ局とひっついているのだから、そこまで掘り下げた議論を求める方がお門違いということなのかもしれない。


個人的には、柳沢大臣のあの謝り方には誠意を感じる。ほかの開き直り型議員や都知事のような傲慢尊大さはまったく感じない。筋の通った人だと思うし、金融改革で見せた手腕はなかなかのものだったとも思うだけに、今回の発言はとても残念だ。



昨日のI/O

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